K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

縛りプレイ

ゲームには縛りプレイという概念が存在する。
通常の進行では満足できない場合や、実況動画や配信で注目を集めるためにプレイヤーが設定する場合が多く、その形態は多様だ。
一定の条件を課すもの、ゲーム内に用意された機能やアイテムを使わないもの、ツールを使って速度を変更するもの、目隠しなどプレイヤー自身に制限をつけるもの、ペットの魚に任せるもの……
いや、最後のは今日たまたま知ったのだけれど、文字通り魚の動きに応じて半自動的にポケモンを進めているらしく、現在も配信中ということで狂気を感じる。まぁ自分でプレイするのではなくランダム性に委ねるという点で、縛りプレイとは違うのかもしれないが。

 

 

私はゲームをする際、意図的に制限を設けることはほとんどない。他人から見たら縛りだと思うものもあるかもしれないけれど、それは単に私の性格的な話で、うまく活用できないだけなのだ。エリクサーを使わずに終わるとか、そういうの。

純粋にゲームを楽しみたいという気持ちもあるけれど、どちらかと言えば飽き性というか、一度クリアすると関心を失ってしまう場合が多くて、何度も周回プレイを試みたゲームがあまりないのだ。だから二周目以降の縛りプレイ、なんてものをしたことがほとんどなく……確か小学生の頃は遊べるソフトが限られていたから、狂ったように何度もプレイすることはあったような気がするけれど、当時は縛るという概念が頭になかったので、むしろ俺ツエーを楽しんでいた記憶がある。

ああそうそう、最近ハマっているダクソに関しては一周目すらクリアが怪しい状況で、別の意味で疎遠になりそうになっている。
八周目まで難易度が上がり続けるというし、周回プレイをするにしても縛れる部分がほとんどなさそうだ。
というか、マウス&キーボードに加えてPSの問題で事実上のパリィ縛りになっているわけだし、ラスボスを前にして白霊なにそれ美味しいの状態なので、無意識のうちに初見から縛りプレイをしている気分ではある。


ゲームではなく、人生の縛りプレイという考え方もある。
不必要に負の要素を背負いながら生きている人々。うまくやれるはずなのに、なんでわざわざ不利な選択をするのか。
私も心当たりがないわけではなくて、普通に過ごしていたら手に入れるはずのものや、身につけているべき知識などを、持っていないことがある。そもそもスタート地点に立てていなくて出遅れる。常識の欠落により話についていけない。いったいどこで機会を損失してしまったのか。

しかし必ずしも不足ばかりではなくて、その分だけ特定の事柄に関しては異常に詳しかったり、病的なこだわりを見せたりするから、弱みでもあり強みでもある。
ただ、そういう両義的な性質って、主観的には当たり前のことだから、なかなか問題視できないものだ。誰かと会話をしたり、自ら発信しなくても他人の会話を眺めているだけで、時にひどく温度差を感じる。それによって初めて、自らのズレに自覚的になれる。
おそらく第三者の目から見たら、私が強みだと思っている部分すら、無駄知識だと思われてしまうものがほとんどなのだろう。
私は、それでいいと思っている。

みんなが当たり前のように使いこなしているものが、得体の知れない代物に思えて、いつまでも手を出せない。試しに触れてみても、やっぱり馴染まない。
常識とか流行といった周囲の目を積極的に欺くための武装を手中に収めることができないせいで、どこか浮いてしまっているのではないかと疑いたくなるシーンが、過去を振り返るとたくさん掘り出される。
実際のところは、まったくわからない。周りの人間は自分が思っているほど私に興味なんかないし、誰も気にしていなかったかもしれない。あるいは私が存外に鈍感で、あちこちの陰で笑われていた可能性だってある。確かめようがない。そんなことは、どうだっていいのだ。今の私の主観には、なんの影響も及ぼさない。

 

つまるところ、行動に制限をかけているのか、本当に縛っているのかどうかに関しては、客観的な価値観なんて意味がないのではないか。ゲームにせよ生き方にせよ、初めに明示化して周囲に認知させない限りは、本意なんて知りえないものだ。多くの人が通った道をなんとなく選ばなかっただけで、苦しもうとしているわけではない。
もちろん、たまたま妥当なルートを見つけることができなかっただけで、もっといい方法があったかもしれない。ちゃんと説明されていたら、そちらを選んでいた可能性も低くはないだろう。でも、最初から攻略Wikiを見ながら進めるゲームなんて、面白いだろうか。

思うんだよね。世の中に用意されているものを活用することだけが、本当に王道のプレイスタイルなのかって。使うかどうかは個々の選択であって、より重要なのは自らのスタイルを貫くこと。信じること。自ら切り拓いていく道こそが、我が人生にとっては、真に王道なのではないかって。
「普通」とか「常識」とか、そんなものは結局、「私」に先行する存在ではないと思いたいし、そういうスタンスをデフォルトにしていないと疲れそうで嫌だ。

 

 

Drawing on 2020-07-14

20200714

昨日のラフを微妙に調整して、軽く色をつけてみた。なんだろう、もう少し色気があってもいいかな。
まぁでも、一日置くだけでそれなりに視点が変わって、変な箇所を直せるようになってきたのは、よい傾向だ。本当は描いているそのタイミングで気づけるようになれたらいいのだけど、まだまだ修行が足りない。
たぶん、明日になるとまた気に入らない部分が出てきて手直ししていると思う。