K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

イカ

新しい情報に疎くなっているもので、あまり詳しくはないのだけれど、どうやら某大人気ゲームの続編が発売されたらしい。
例によって、私は流行りモノに興味を示さないことが多いから、どれだけ面白くて今後しばらく話題沸騰となったとしても、自らプレイしようという考えは今のところ持っていない。
仮に遊ぶことになるとしても、きっと勢いが完全に落ちた数年後になるだろう。いつだって、私はそういう人間なのだ。

 

そもそも、今では誰もが持っていても不思議ではないSwitchという機器を、私は所有していない。
ゲームはPCでプレイ可能なソシャゲか、Steamでダウンロード可能なPCゲームにしか食指が動かないのだから仕方ない。もちろん時代なりに形を変えていることはなんとなく知っているけれど、どうしてもコンシューマーゲームというものに対してモチベーションが上がらないのだ。
大学に入るくらいまでは日常的に遊んでいた記憶があるのだけれど、いつの間にかフェードアウトしてしまった。多くの人間が触れて話題にしていたとしても、私は興味がないからと知らんぷり……話題作りのためであったり、みんながハマっているから自分もという気持ち悪い同調圧力であったり、世間一般では珍しくもない行動規範が私には備わっていない。
そうした他者の事情を気にする生き方をしてこなかったし、ほとんど生まれつき個人主義を極めていく方向に性格の伸び代があったものだから、昔から真に自らが気になった対象にしかエネルギーを注ぐことができなかった。

なんとなく、どんなものかとゲームの配信を覗いてみたが、当然のことながら意味がわからない。
未プレイでルールも知らない状態なのだから、おかしなことではないのだが、たとえばスマブラであったり、パワプロであったり、定期的にゲーム界隈で勢いを伸ばすコンテンツは、知らなくても何をやっているのか理解できる作りになっている。
APEXくらい画面が複雑にごちゃついていると、流石に経験者でなければわからない要素が多いけれど、それにしたって遊んだことのない私は概ね何が起きているのか判断がつく。
イカに関しては、真剣に見ていないというのも原因としては大きいと思うが、あまり面白そうに感じられなかった。何がどうなっているのかも、よくわからない。
他人が遊んでいるのを見て、自分もやってみたい、やってみようという発想が出てこない時点で、おそらく私には向いていないゲームなのだと思う。

似たような感覚を、どうぶつの森が流行っていた頃にも経験した。
あれも私が積極的に向き合おうという気になれなかった大ヒットコンテンツであり、なぜ世の中で受けているのか考えようともしなかったゲームなのだ。
ちゃんとプレイしてみれば、ここが良いから評価されているに違いない、などと分析することは可能ではあるのだろうが、その最初のステップで頓挫してしまうせいで一向にゲームの魅力を知ることはない。
時間泥棒に遭わずに済むと捉えるか、楽しめるかもしれない素敵な機会を逸していると捉えるか、どちらの見方も現実的なので複雑な心境ではある。

 

天邪鬼アピールをしすぎても仕方ないから、少しだけ言い訳をするが、私も時には流行りモノに手を出すことだってある。
直近で最大級のコンテンツではウマがそうだし、先日たまたま気まぐれで始めたブルアカもそれに該当するだろう。
あるいはコンシューマーゲームで言うと、PC版ではあるがソウルシリーズやSEKIROなんかは数年遅れでハマることに成功した。
アニメも、今期はちょうどリコリコやメイドインアビスをしっかり見ているわけで、大衆にウケるものに必ずしもアレルギー反応を示すわけではないのだ。

私が無意識的に嫌悪しているのは、それではいったい、どんな要素なのだろうか。
明確な結論は出ていないのだけれど、なんとなくそれは、カジュアルさにあるのではないかと思っている。
一般人が気軽に楽しむタイプのコンテンツには、ちょっと距離を置きたくなる。オタクチックであればあるほど、抵抗感なく受け入れ、心の中に浸透しやすい。
ここで言う「オタク」とは、いわゆるアニオタ系の意味よりも、マニアに近い意味合いだ。ややニッチな要素やフェチ養素が含まれていて、入口で感覚的に躓きやすい性質を備えたコンテンツのほうが、妙に魅力を感じてしまうのかもしれない。

大ヒットよりは、中ヒットくらいのほうが馴染みやすい。
ひょっとしたら、そのような傾向があるかもしれない。そんな風に自身の趣向を考え直してみると、なんだか意外なほど腑に落ちるような気がした。