K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

いつの間にかみんなSwitch持ってる

Switchが初めて出てきたとき、かつてDSを求めたように、私は少しばかり興味を抱いていた。しかし、当時はどこも売り切れの品薄状態で、とても気軽に買えるものではなかった。
それから数年、さまざまなソフトが発売され、やがてゲーム市場の主役はSwitchに取って代わられた。
Switchを持っていないゲーマーなんてほとんどいないんじゃないかと思われる今日この頃だけれど、今でもAmazonでは定価で買えないみたいだし、他の多くの人は、いつどこで入手したんだろう。普及の流れが不思議に思えてならない。

 

 

Switchを持っていないせいで、とまで言うつもりはないけれど、少しずつ時代に置いていかれている感覚がある。最近よく聞くゲーム関連の話題はたいていSwitchのソフトであるから、やはり流行を追うならば持っていたほうがいいのかな、と思うのだ。
買っても遊ぶ暇があまりない気がしているし、正直SteamのPCゲーで十分ではあるのだが……なんだろうな、一般的な若者の標準所持アイテムっぽく思えてしまうので、未所持というステータスが気にくわないのかもしれない。

今年に入って、おそらく最も遊ばれている通称「あつ森」というゲームは、もちろんTwitterで画像などが相当流れてきたから知っている。まぁ自分でやろうとは思わないので、Switchを購入するきっかけにはならなかった。人気なんだなぁと思う程度で、昔から「どうぶつの森」シリーズには関心を示してこなかったしね。
ちょっと気になったのが、会社説明会を「あつ森」内で行ったというニュース。非常に面白い取り組みだと思う。読んでいくと、今回限りの試みだという話だったけれど、今後はこういう企業や団体が増えていくのかもしれない。

たとえば、現代社会において人間関係を構築するにあたっては、LINEをインストールしていないと難しい側面がある。多くの人にとって交流の前提となるインフラみたいな存在で、これを否定して生きていくことは、もはやできなくなっている。
私も2013年の途中まで抗っていたけれど、時代の流れには逆らえなかった。もし今、LINEを失ったら、交遊関係の9割以上と縁が切れることになる。LINEをほとんど活用しない私でさえ、だ。考えてみたら、とんでもない時代だ。

気がかりなのは、今後Switchもそういう存在になっていくのか、ということ。流石にゲームであるから、それはありえない? まぁ確かに、今は遊ぶための道具に過ぎないかもしれない。ただ、技術の発展は目覚ましいから、これから本格的に生活の中に取り込まれていくことになったとしても、おかしな話ではないと思うのだ。
そうなったとき、未所持の人間はどんどん世の中の流れから切り離されていく。それがどれだけ恐ろしいことか、ITリテラシーの獲得に出遅れて、現在進行形で右往左往している人たちを見ていたら、なんとなくイメージはつく。

別にSwitchでなくてもいい。たとえばOculus QuestをはじめとしたVR機器やその関連技術なども、将来的に大きく伸びる可能性がある領域だ。
あるいは将来、なんて遠くて曖昧なものではなく、まさに数年以内に、爆発的に普及する可能性だって考えていい頃合いなのではないか。

新しいものを否定しないというのは重要なことで、できる限り受け入れていきたい思いけれど、それだけではなく、より積極的に関心を持って触れていかないと、いずれ自らにとってプラスになるはずの大きな機会を逃すかもしれない。
Switchを持たないことで覚える漠然とした不安というのは、きっとそうしたところに端を発しているのだろう。

 

 

Drawing on 2020-07-16

20200716

ざっくりとラフを描く日。
パーツ練習ばかりだと、今度は全体のバランスが取れなくなりそうだから、常に全身は意識したいところ。
週末か来週あたりに、気分転換に背景の練習でもしてみたいな。