K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

手書き! 押印!

はぁ~、アホらし。

 

 

一昨日の不調はなんだったのかというくらい昨日は好調で、気力という点では十分だった。しかし、いかんせん最近は仕事が厄介な時期に突入してしまっているので、自由時間という意味では六月に及ばない。
睡眠不足ではないのに、今日も単純な疲れのために、夕方に少し眠ってしまった。
絵を描く時間が減るのは望むところではないから、やっぱりこの生活は駄目なんだよな。会社員しながら絵の仕事もしている超人は、何か時間と体力を自由に操作する能力でも持っているのだろうか。真似できそうにない。

まぁ仕事というのも、会社としては重要なのかもしれないが、私個人にとってはまったく価値のないもので、本当に「くだらねぇ」と毎日独り言で文句を垂れ流しながら向き合っている。
辞めようと考えだしてから一年弱になるが、しんどい以外の感情は滅多になかった。先日、本格的に決意して動き始めてからは、多少は溜飲が下がったものの、意識が切り替わったことでむしろ無価値な労働に対して拒絶反応を示すようになってきていて、ここから残りの日々が一番きついかもしれないなぁなんて。

 

いまどき、書類なんてPDFで十分だろうに相変わらず押印を求める文化は消えることがないし、場合によっては「誠意」とかいうよくわからないもののために手書きを強要してくるので、ほとほと呆れている。

実は、紙のほうがいい、という感覚はわからないでもないのだ。紙には紙の利点があるし、私も読書を電子書籍に移行するまでには葛藤があったから、完全に紙でやり取りするのをやめろという話をしたいのではない。
ただ、やはり電子媒体の利便性は圧倒的で、一度それに慣れてしまうと紙にこだわるのがバカらしく思えてしまうのも事実なのだ。白地に文字が書かれているだけの情報なんて、最も電子化の恩恵を受けやすいはずなのに、一向に変わろうとしない姿勢には何やら宗教めいたものを感じてしまう。たぶん電子媒体をまとも使ったことがないか、使いこなせていないだけなのだろうが。まぁ特性を理解したうえで紙にこだわるのなら、もう何も言うまい。

ただ、そういう文化が自己満足に近い領域に両足を突っ込みかけている現代において、他者にそれを強いる風潮がねちねちと残存し続けているのが、非常に不思議ではある。
新しいものを取り入れていくことのできない古い体質であるなら、仕方ないそういうものだと諦めもつくが、バリバリの若者がそれを押し付けられ続けた結果、悪い方向に価値観が染められてしまっているのを目にすると、とても哀れに思えて悲しくなる。
そうなる前に疑念を抱かなかったのか、あるいは改善提案などできなかったのか。同調圧力とかいうやつが、延々と目の前に立ちはだかってきたのかもしれない。
私は正直、会社のことなんてどうでもいいと思いながら勤めているから、このまま変わる気配が感じられなくとも構わないのだが、やる気のある真面目な若者が会社の古いしがらみに縛られていくのを見ているのは気持ちがいいものではない。

私も給料を貰っているからには、ある程度の規則は守る必要があって、心底くだらないと思いながら付き合ってやることがしばしばある。それも近いうちに終わりだと考えれば、人生の思い出としてやってやってもいい、なんて気にもなったりならなかったり。
しかし押印くらいなら百歩譲るとして、手書きを求められたときは流石にちょっとどうなのかと思った。手間が段違いだし。でもインターネットで調べたら、あまり珍しくもないらしく、つくづくこの国ってやつはまったく……となったわけだけど、文字をガッツリ手書きする機会なんか今日日なかなかないわけだから、たまにはいいかと思い直す。もはや希少性にしか価値を見出せない。
どうせならかっこよくいきたいと、わりと意欲満々に万年筆を注文してしまったので、遊び心というか、プラスの側面を見つけ出すことがストレスから逃れる手段の一つとして、そこそこ有効だなぁと思う。万年筆を使ったことがないので、少し楽しみだ。
さて、具体的になんの話をしているんだという感じだが、たぶん文脈から読み取れるはずなので、あえて書かないでおく。

 

明日は「体調不良定期」の土曜だけれど、今のところその予兆はない。溜まっている描きたい絵がたくさんあるのだから、自由に時間を使える日くらいは、できれば健康的に過ごしたいものだ。

 

 

Drawing on 2020-07-17

20200717

バランスが崩れがちなのでマネキンを描いて調整を試みる。
いつも、だいたい5~5.5頭身くらいを意識しているんだけど、たまには変えてみようかな。