K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

恋愛を知らない

同年代の知人が結婚する。喜ばしいことだ。
しかし、それはそれとして、私とはまったく無縁の話でもある。あまり興味がないのだ。

いつからだろう。人が恋愛を楽しむようになるのは。そういった話題に事欠かなくなるのは。
少なくとも思春期の頃には、周りにそんな気配を見せている人は誰もいなかったというのに。みんな恥ずかしがっていたのだろうか。あるいは、もともと狭い世界に生きていただけなのだろうか。

 

 

昨年のことだ。大学の頃、同じゼミに所属していた知人と会う機会があった。
流石にこの年齢になると、久々に再会しても外見に大きな変化はなく、感慨も何もなく「ただ久しぶり」という以外に感想はなかったのだけれど、大学生活から離れた後は、当然それぞれがそれぞれの、個性的な経験をしているようだった。

二時間程度の食事の場では、最近どんなことをしているか、という話題がメインだった。
私も、一応生きてはいるから話せることはあるのだけれど、趣味の話はしづらいし、あまり語りすぎると普段の日記のように頭のおかしい内容になって、ドン引きされかねない。だから、どうしたって情報量が薄くなる。わざわざ話すまでもないことを、順番だからと無理やり時間稼ぎしなければならない。
私はあの瞬間に対して、そこはかとない苦痛を感じていた。しかし、この程度ならコミュニケーションにはつきものだ。出席したからには、甘んじて受け入れる。

それだけで会が終わればよかったのだが、現実は甘くない。適当なカフェに入って、二次会に突入することは避けられなかった。
やれやれ、不思議なことに先ほどまでとは雰囲気が打って変わって、彼らは恋愛話に熱を上げる。
馴れ初めから、どこに行ったか、何をしたか、今後は……という、私にとっては仰天するような話を聞かされ続け、それ自体は異世界の物語に耳を傾けているような新鮮味があって悪くないのだけれど、問題があるとすれば、それもご多分に漏れず順番が回ってくるということだった。

彼らは恋愛の話題になると、水を得た魚のように饒舌になるだけでなく、自分が話したのだからと他の参加者にも恋愛語りを要求する。しかも同じくらいの、いやそれ以上の水準でなければ満足できないのだ。
場を盛り上げるために、個々が内に秘めている、とっておきの恋愛エピソードを解放したまえ。
そんな声が聞こえるようで、私はひどく辟易してしまう。

驚くべきことに、私を除く他の全員は、その要求に応え得る回答を持っていた。なぜだ、なぜお前らは……いや、あなた方は、そんなにも異性と触れ合う機会に恵まれているのだ。
当然、私にもなんらかの話題提供を強いてくる。直接的ではなくとも、空気の力というやつだ。私が「何もない」と言えば「またまたぁ~なんかあるでしょ」と、恥ずかしがって隠すのはやめようよ、とプレッシャーをかけてくる。あの瞬間だけは、腹が煮えるような思いになる。どうして信じてくれないのだ。私には、本当に何もないというのに。

寝食と大差ないレベルで、恋愛というものをごく自然に実践している。私には考えられないことだった。
もしかしたら、普段からそういう相手に巡り合うための活動に取り組んでいるのかもしれない。将来的な配偶者のことを不断に頭の片隅に置いて、懸命に生きているのかもしれない。だから自然と話題にできるし、その場に合った対応もできる。
私にはまったく意識できないことなので、まるで理解できないのだけれど。

 

本音を言ってしまうと、自分のことが大好きで自分一人で使える時間や空間が最優先な私にとって、恋愛を考慮した生活というのはとても億劫に思えるし、強い関心を持てないのだ。
交際相手の存在を仮定したとして、私は基本的に不干渉を求めてしまう。たとえばデートなんて面倒だし、仕事でもないのに気を遣わなければならないという時点で、もう駄目だ。一緒にゲームで遊ぶくらいならいいと思うし、適当に己をさらけ出して、互いに束縛することもなく、気楽に話せるのなら歓迎する。さて、はたしてそれは恋愛が成立していると言えるのだろうか。ただの友人ではないのか。
きっと私は恋愛どころか、友人にすら飢えているのだ。欠乏しすぎて自覚がないだけで、実際のところ本来は成長過程で経験すべき他者とのあらゆる交流が不足していて、幼稚なのだろう。良く言えば純粋で、悪く言えば精神が成熟していない。
結果的に、他者との必要以上のつながりを忌避しがちで、自己肯定感だけが一方的に肥大化してしまっている。
なんとも、寂しいものだね。

 

オタクがアニメやゲームの話をするのと同じくらい、彼ら一般人にとっては恋愛が、ごく普通に楽しく語り合えるコンテンツなのだ。
ここ数年では、オタクの知り合いと会っても恋愛の話題が出ないわけではない。そういう流れになってしまうと、私は困惑するし、閉口せざるを得ない。だって、話せる材料が冗談抜きに一切ないのだから。
恋愛観なんてものが、そもそも自分の中に形成されていない。かろうじて、アニメや小説などの創作物から摂取している分があるけれど、どこまで現実世界と一致しているのやら。それを判断する術を持っていない。

無知は罪だ。経験値を得るために、そういう接触があってもいいと、まったく思わないわけではない。多少の労力を支払うくらいの見返りはあるだろう。
ただ、私には同性の友人すらほとんどいないのだ。気軽に連絡を取り合えるという意味では、家族を除けば異性は皆無だ。いったい、どこに出会いがあるというのか。
確かに、今どきはSNSマッチングアプリを使った出会いをすることも不可能ではない。ただ、それらを使って一定の仲までもっていくためには、細かく返事をしたり、気の利いたことを言ったりしなければならないようだし、ノウハウのない私にとっては労力に見合わない。あまりにも面倒だ。途中でアホらしくなって投げてしまうに違いない。
そんな手順を踏まなければならない時点で、上に書いたような理想像からは外れているから、いずれにしろ長続きしないだろう。私と合いそうなタイプは、私と同様に恋愛に積極的ではないはずなので、普通にしていたら一生マッチングできないというジレンマを抱えている。

 

十年後や二十年後にも、お前は一人きりだぞ。そんなお告げを受けたとして、別に私は絶望感を覚えないし、むしろ、そりゃあそうだろうなぁとしか思わない。
染みついた生き方や人間性、性格なんてものは、そう簡単に変わらないし、一般的な感覚から外れてしまった自らのことを、私はまったく悪しきものだとは思わず、全力で肯定しているのだから、「矯正」とか「改善」のような言葉を当てはめることも難しい。

神がかった巡り合わせがない限り、私は一生オナニーの快楽に浸って生きていくことになるだろう。