K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

教えるということ

昨晩、早く眠ると書いておきながら、眠りに就いたのは1時過ぎ……だっただろうか。瞑目していたので定かではないけれど、生活のリズムが早寝早起きに適応できていないので、やや無理があった。
しかし、前々から心に決めていたことを進めるというある意味で記念日の今日であるから、多少の寝不足くらいでは問題など起こらない。
体力が落ちていても、一日くらいなら気力でどうにかなってしまう。現実は厳しいものだけれど、こういうところはとても甘い。


引き継ぎと言ってしまってよいものか、とにかく自らの仕事を他者に説明するというのは経験がないものだから、意外なほどに緊張していた。
始めてしまえば流れに任せるだけなのだけれど、あらゆる行動を無駄に脳内シミュレーションしてしまうのは悪い癖だ。なぜ悪いかというと、頭のリソースをかなり消費するため、余計に疲れてしまうから。咄嗟のタイミングで呆けたり脱力したりしがちなのも、これが原因だと思っている。

それはさておき、およそ数か月ぶりに家族以外の複数の人間に出会い、会話をした。これまた意外だったのが、会話が実は楽しいものだという気づき。いや、知っていたけれど忘れていたものを、いよいよ思い出すことができたと言うほうが正しいか。
あまりにも声を発しない期間が長かったせいで、一度喋りだすと止まらない気がした。いくらでも話せる。ああ、でも私は喉が強くないんだった。きっと痛くなってしまう。
……それが日常になれば、また鬱陶しいものだと思うに違いないのだが、人間が人間らしくあるためには、適度なコミュニケーションが必要だというのは真理なのだと思った。

作業手順を説明する中で、ときおり反応を窺ってみる。すると、必死にメモを取っている姿が目に映った。手順書があって、ほとんどそれに細かく書いてあるのだから別にいいのに。そうは思うものの、メモが大事だという他人の考えを否定する気にはならなかった。
目の前の相手が、私の一言一句を重宝して聞いている。そんな機会は、人生において滅多に体験できるものではない。興味深い出来事だった。

あらためて説明している作業の全容を俯瞰してみると、たった数時間で把握するのはおよそ不可能であることに気づく。それらはとても面倒で、くだらないし、無駄に膨大なのだ。よく呆れずに、真剣に聞いてくれるものだと感心する。
そこで、なるほど、と合点がいく。かつて私が得られず、得難かった後輩という存在の性質に。こんな感じなのだろうか。年下というのは観察していて面白いし、なんだか、かわいいもののように見えてきた。決して畏怖すべき対象なんかではないのだということを、今さらながら思い知らされた想いだった。

それにしても、これだけたくさんの作業をいつの間にか完璧に一人でこなせるようになっていたのだという圧倒的な自覚が、ここにきて初めて芽生えたような気がした。いつだって心の奥ではいい加減な気持ちで取り組んでいたから、作業そのものへの思い入れだとか価値だとか、ほとんど考えたことがなかったのだ。実は、違っていたのかもしれない。
これはとても心地好い感覚で、説明しているうちに自然と声が弾んだ。それでいてどこか……どこか、寂しくも思った。
私は何かを残せただろうか。残せるだろうか。いっそのこと、私のことなんてすっかり忘れてくれとさえ考えていたが、これから変わることはあるんだろうか。

教えていると、こんなことを思う。私の時はどうだっただろうって。
私だって右も左もわからない時期があった。それはもちろん、私に教えてくれた人だってそうだし、その上の世代にも当てはまることで、不思議なことは何もない。
ただ、どうしても比較してしまう。私はもっと速くできたような気がする。あるいはもっと時間を費やしたかもしれない。
初心者に毛が生えた程度の人間というのは、純粋で吸収力はいいはずだが、本当にノウハウがなく、効率からは遠くかけ離れたところにいる。教えたことをちゃんと理解できているのか、気になった。
作業量的に、確かに全部の理解を求めることは難しいのだけれど、せっかく時間をかけて教えた内容がすっかり抜けてしまっていると、どうしたものかな、と思わずにはいられない。時間はあるのだし、少しずつ覚えていけばいいのだ。本来は。それでも、労力をかけて教えた手前、さっきやったはずなのに……という場面を迎えた際に、些かでもうんざりすることが許されてはいけないのだろうか。とても聖人にはなれる気がしない。教育は難しいということを教える立場から実感するのは、初めてのことだった。

私は、効率化するのが得意なほうだった。自分で言うのもアレだが、おそらく客観的に見ても有能なほうだったのだと思う。これは、しっかりと評価に表れていたから、独り善がりの話ではない。
ふと、頭に浮かぶ。世間一般の平凡なレベルというのは、こんなもんなのかな、と。
驕りすぎだろうか。いや、でもこれは直感的な問題で、いくら言葉で取り繕っても、自らを偽ることはできないのだ。
彼の唯一の不幸は、私の後任であることかもしれない。ひょっとしたら、私なんかよりもずっと大きなポテンシャルを秘めているかもしれないが、いずれにしろ苦労することにはなるだろう。それだけ、厄介な仕事を押しつけることになる。
現代の若者らしく、落ち着いていて真面目で誠実そうで、受け答えもしっかりしていたから説明するのは楽であったし安心もした。内心は知らないが、パッと見た感じでは私とは大違いだ。真面目だからこそ大変な部分があるとは思っていて、だから一概には言えないが、まぁでも、おそらく大丈夫だろうという根拠のない感想を覚える。

今後の健闘を祈りたい。


久しぶりすぎて、かつてのルーティーンはもはや例外的な事象へと変化した。「正常」か「異常」で分けるなら、「異常」に近いくらいには。
たった一日だからこそ、頑張れた。存外の活力が湧いてきて驚かされもした。だが、そのたった一日で私の身体が受けたダメージは、ここ最近の日常を遥かに超えるもので、やはり継続するのは無理なのだと悟る。
以前は慣れていた。慣れていたからこそできていたけれど、もう身体が慣れたくないと訴えている。ならば仕方ない。身体は正直であり、そして不幸を招くよりは素直に従うべきだ。

ああ、疲れた。