K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

習慣から外れるリスク

習慣的に続けている日常というのは、ある程度の安定感があるからこそ続いているわけであって、急に変えることは難しいものだ。
しかし、今週の私のように、どうしても避けられない予定が入って習慣を実行できない日々が連続的すると、当たり前のようにやっていた流れを再現することに余計なエネルギーを使うようになる。
再び、なんでもない習慣へと戻すためには、どれくらいの我慢が必要なのだろうか。

 

習慣というのは人によって様々だろうが、外に出ていて実行不可になる理由として、私の場合は物理的なものが大きい。
主に作業の大半を起きてから寝るまで稼働させているデスクトップPCの環境に委ねているものだから、自宅以外の場所で過ごすこと自体が私の生活そのものを非日常にしてしまうのだ。
具体例はなんでもいいが、たとえばYouTubeで動画や配信を見るという手軽な行為でさえ、基本的に単一の動作しかできないスマホでは満足することができない。
小さな画面で、他に作業スペースを作れないことのストレスは、きっとPCを持たない現代っ子には理解できない感覚だろう。

他には、わかりやすいところで言うとゲームプレイの及ぼす影響は少なくない。
近年はスマホプレイを前提としたゲームが数多く出ているけれど、アカウント連携によってスマホでもPCでもプレイ可能なゲームが珍しくなくなっている。私のようにスマホよりもPC派という人間は、どちらでも遊べるならスペックの高いPCを選ぶことになる。
さて、それでは出先でどうするかというと、仕方なくスマホからログインするわけだが、快適なPC環境に慣れていると、スマホ版のあまりの窮屈さに苛立ちを感じるようになってしまうのだ。
おかげで、このところウマの育成が捗らない。今月のチャンミは短距離だというのに、因子周回は進んでいないし、本育成に向かうこともできないまま、ただTPを溢れさせる一方だった。
既に何度か敗北を喫しているし、どうしても勝たなければならないという気持ちはないから、今月は負けること前提でラッキーを祈るくらいがちょうどいい。そうでなければ、来週の負担が凄いことになってしまう。

 

それにしたって、競馬の予想をするのにも、アニメを見るのにも、ありとあらゆる日常的な動作のほとんどがPCを媒介していることに気づく。
スマートフォンタブレットだけで現代の生活をやりくりしている人間は、別に悪いとは言わないけれど、何か致命的なものを欠損しているような気がしてならない。
そこそこのデスクトップPCとモニターが複数あれば自由度が無限に広がるというのに、それを知らないで平気な神経を私はすっかり失ってしまった。もはやPCを持たなかった時代に何を楽しみに生きていたのか、まったく思い出せない。

きっと、スマホだけで生きている若者にPCの扱い方と可能性を教えたら、人生が豊かになるはずだ。これは、ほとんど例外なく全人類に当てはまる事実だと確信できる。
だからこそ、PCを使えない状況が続くことのどうしようもない不自由さを、こうして嘆いてしまうのだ。本当に不便で仕方ないし、いつも難なくこなしている事柄の半分すら、頑張っても達成することはできない。

遠方の地で歩き回るのは、心から楽しかった。不自由こそあれど、普段は経験できない新鮮味があったし、たまには悪いものではない。
しかし、東京に戻ってきたというのに馴染みのある環境に辿り着けないのは、少しずつ内なるストレスを増大させるだけだということを理解した。せいぜい、数日しか耐えられないだろう。

まぁ今日は前日までの疲労回復のために、派手に動くわけにはいかなかったというか……昼過ぎまで当然のように眠っていたし、のんびりしていたら午後も終わっていたわけだから、最初から諦めていたけれど。
諸々の状況から、月曜の夜には自宅に帰っておきたい気持ちがある。溜め込んだタスクを極力ロスなく片づけていくことができそうなギリギリのラインが、おそらくその付近にありそうなのだ