K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

節目

今日でちょうど100記事目らしい。

 

人間というのは節目をかなり気にするようで、特に100というのはかなり身近なキリのいい数字として考えられているように思う。私も無意識に意識してしまう(?)ようで、数日前に「あれっ? もうすぐ100日目でなのでは?」と不意に考えてしまった。
五月のゴールデンウィークの終わりから毎日続けてきて、長いような短いような、という期間ではあるけれど、初めに掲げた目標通りに継続できているのはよかった。

具体的に書いたか覚えていないけれど、継続して更新すること以外にも目標はいくつかあって、それらはじっくり時間をかける必要があるから、まだまだ先は長い。
ちなみに、1,000記事目に到達するのは2023年の二月くらいかな……以前の記事にも書いたように、その頃にはだいたいの方向性が決まっていることだろう。最近は健康状態が微妙だから、もはや生きているかも怪しいが。

 

毎日どれくらいの文字数を書いているのか、まぁ大した分量ではないのだけれど、感覚的には平均すると1,500字くらいのような気がしている。思考が暴発したときには2,000字台後半から3,000字台半ばくらいで、調子の悪い日には500字から1,000字台前半。
合計するとおよそ15万文字ということになる。内容にもよるが、これは小説一冊分に相当する。
うむ。ということで、毎日これくらいのペースで続けていけば、他に仕事をしていたとしても、三か月ちょっとで一作品を書くことが可能ということだ。
もちろんこれは机上論であって、創作の難しさは好き勝手に書ける日記とは比べものにならないだろうからナンセンスな考えかもしれない。ただ、文章を書くペースとして無理のないレベルがどのくらいか、という意味で言及するなら、それなりに知ることができたという感覚がある。

日記と言いつつもその日の出来事を書いていることって比較的少ないほうで、多くは前々から考えていたことの言語化による思考整理であったり、突発的な思いつきを形にしたいという勢い任せの駄文だったりするから、今後ちょっと変わった内容を書いても、特に問題はないだろう。
アクセス解析によると訪問者は新規の方がほとんどで、幸か不幸か毎日の更新を楽しみにしている人なんていないようだし、誰も一貫性なんて気にしない。強いて言えば、私が好きなように書くという一貫性だけは保たれることになるし、保ち続けたい。他人の意見なんて知らん。

というわけで、変化球的な気持ちを込めて、また文章力アップのためにも、たまに創作めいた記事を書いてみようかという考えが頭の中にある。
実際のところ、一記事にまとまるレベルでの創作というのはあまり経験がないため、やってみないと、という感じではあるのだけれど、まぁ目安としては5,000字前後になるんだろうか。短すぎるのは表現に限界を感じそうだし、長すぎるのは書くにも読むにも時間的な負担が大きくて、おそらく続かなくなる。
とりあえずは月一か、あるいは隔週くらいかなぁとは思っている。一番の問題点は何事にも言える事だけれど、始めるということのハードルの高さ。下手でもなんでもいいから、習作としてひとまず仕上げることが何よりも肝要だ。

 

文章については、ようやく一段階目の安定期に入ったから、ここからいよいよスタートという想いだ。
一方で絵については……やはり文章と比べても相当に時間がかかるため、基礎的な知識・技量不足を着実に埋めていくしか方法はないと思っている。
限られた時間の中で、毎日少しずつ描いていくのを悪いとは思わないし、やってみた感想としては楽しかったのだけれど、総合力という意味ではあまり成長しているような気がしなかった。確かに、習慣化することで効率的に手を動かせる部分は増えてきた。ただ、もう一段上のステージに移るには、どうしても足りない。
この三か月を経て出た答えとしては、期間を決めてガッツリとひたすら集中する過程が必要なのだということ。それが正しいのかは、やってみないとわからないけれど、だからこそ余裕のあるうちに経験しておきたい。もうすぐ時間に縛られる日常から一時的に解放されるはずなので、それを活かさない手はない。

これまで仕事に充てていた時間を、能力アップの基礎作りに使うということが、何を意味するか。きっと、かなり頭を働かせなければならないし、内なる自分の力をもって日々を生きていかなければならない。怠けていても怒ってくれる人はいないし、行動の一つひとつに社会的責任が伴わなくなる。気持ちとしては楽にもなるが、同時に支えもなくなる。自己責任という言葉が重くのしかかる。
大学受験のとき以来になるだろうか。自分自身の課題と向き合って、ひたすら苦手を潰していくために集中することになるのは。二度とやるもんかと当時は思った。
その道は想像しただけで苦しそうだけれど、同時に今までとは比べ物にならないくらい楽しそうというか、充実感に満ちていそうでもある。

 

……なんだか似たような内容を過去の記事で繰り返し書いてきたようにも思うが、それだけ熱があって想いが溢れているということで、何も不思議なことはない。本当にどうなるんだろうという、不安の裏返しという考え方もある。
とにかく、もうしばらくして状況が変化するまでは、そこそこ怯えながらも期待に胸を膨らませて、楽しみに待つことにしたい。