K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

名作を二度

記憶というのは自分で思っている以上に、ひどく曖昧なものだ。大事なものであっても、時間が経てば大半を忘却する。
よく、アニメや小説なんかで名作に出会うと、記憶を消してもう一度……なんて思うことがあるけれど、完全な形では無理にせよ、時の力を利用すれば再現することができるのではないかと思った。

 

記憶の定着には、「繰り返し」が有効だ。だから、好きで何度も目を通した作品に対しては、なかなか忘れることが難しい。10年くらい触れずに置いておけば可能かもしれないが。
一方で、一度きりしか見ていないものというのは、初回の衝撃や感動がどれほど大きいものでも、記憶の定着が不十分であることが多い。完全記憶能力者でもなければ、次第に細部の具体的なイメージは頭から欠落していく。結果的に残るのは、良かった、あるいは悪かったという、わかりやすい印象だけになるのではないか。

私の場合、好きなアニメは何度も見てしまう傾向にあるため、なかなか忘れるということができない。全盛期はリアルタイムで見て、録画を見て、ニコニコでコメント付きのものを見て……と一話あたり三度は見るということが稀ではなかった。よく考えるとおかしな話だが、それで満足できるのだから趣味みたいなものなのだろう。今でも毎回ではないが、たまにやってしまう。
逆に、漫画や小説はアニメよりも消化・吸収するのに時間がかかるし、能動的な意欲が必要だ。その分だけ腹は膨れるけれど、よほど好きだったり暇だったりしないと、一度見たものに再び触れるということが、なかなかない。中学生くらいまでは娯楽が少なかったせいか、何度も読み返すことが普通にあった覚えがあるのだが、いつの間にかやりたいことが多くなりすぎた。
映画に関しても気軽さという点で、最初の一度きりになることがほとんどだ。まぁ一部の作品に対しては狂ったようにリピートしていたけれども、そういう例外はさておき。

一年半近く前に読んだ作品の中に、とても感動した漫画がある。読み終わったときには、心から作者に感謝したものだった。近年よく使われる尊いという言葉の意味を、身をもって理解したのは、あのときが初めてだったかもしれない。
ただ、それだけ強い印象が残っているのに、なぜだろう、大筋をよく思い出せない。全24巻でそれなりの長さだし、読み返していないから仕方ない部分はあるだろうけれど、それにしても……というわけで、冒頭の考えに至った。
もちろんキャラクターは覚えているし、最も感動したシーンの絵も、ぼんやりと思い浮かべることができる。けれど、話がどのように流れていき、結局どうなったのか、というところがまるでわからない。忘れているというよりは思い出せないだけなのかもしれないが、記憶に靄がかかるとはこういうことを言うのかと、ちょっとこれまでに経験したことのないような感覚で困っている。

気になるなら読み直せばいいだけの話なのだ。それだけで悩みは解決するし、名作をもう一度、純粋な心で楽しめるかもしれないのだから、喜ばしいことであって悪いことなど何もない。この忘却という性質を利用することによって、私は何度だって素晴らしい世界を経験することができるようになった可能性がある。そう考えられるなら非常に前向きで、幸福度が高まりそうではある。本当は、面倒な思考に沈むことなくそのように在りたい。
しかし、少しばかり憂いを吐露することも許されるだろう。
楽しむということと忘れてしまうということは、なるほど今後年齢を重ねるにつれて、だんだんと切り離せない現象になっていくのだろうなぁと、ひょんなことから諸行無常を感じる今日この頃なのだ。