K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

730日

ゴールデンウィークが終わり、世間的には次の連休までしばらくの間隔が空くことになる。
現状の私にはあまり関係のない話とはいえ、世の中が休みのほうが、なんとなく気分が上がるような感覚があるので不思議なものだ。
Twitterの盛り上がり方というか、TLの流れる速度というか、そういう意味では一切の影響がないとは言いきれないところがあるのかもしれない。

 

さて、つい先日のことだが、このブログを始めてから二年が経過した。
ゴールデンウィークということで、何か新しいことに挑戦したいと思って軽い気持ちで開始した「毎日必ず文章を書く」という習慣だったけれど、正直なところ現在まで途切れることなく続くとは思っていなかった。
最近では固定アップロード時刻の22時に間に合わず、翌日の早朝に更新していることも珍しくなくなったとはいえ、抜け日を作らずちゃんと記事で埋めているからセーフということにしたい。
まぁ当初は三日坊主を心配していたくらいだったし、書かないと気持ち悪いと思えるようになっただけで十分な進歩だろう。

一年前、ちょうど一周年を迎える日の日記では、一年間の振り返りも含めて合計字数やアクセス数などについて取り上げた。
今年は若干、タイミングとモチベーションが合わずを過ぎてしまったけれど、似たような形で振り返ってみたい。

まず、書いてきた文字数についてだけれど、これは面白い結果になった。
合計字数というのは日々の積み重ね以外のなんでもないから、本当に習慣というものの重要性が左右する部分が大きく、たとえば具体的な年間字数を目標にしていたとしても、期限が迫ってきて一気に増やせるものではない。
無意識の領域で少しずつ、少しずつ……そういう意味で、二年前から一年前までの一年間と、一年前から現在までの一年間で、ほとんど同じ数字を刻んでいたらしい事実には、喜びと驚きが半々といった感じだった。

365日時点で、およそ650,000字。
730日時点で、およそ1,300,000字。
記事あたりの平均字数は、およそ1,780字となる。

平均字数については、確かに体感と一致する部分があって、調子の悪い日は1,200字程度だけれど、そうでない日は2,000字弱くらいのことが多いから、納得がいった。
それを一年間安定して続けていったら、65万という数字に収束するのは理解できる。ただ、それにしても凄いことだ。
なお、これまでにアップロードした記事はテキストデータでダウンロードできるようになっているのだが、余計なタグなどが入ってしまっているせいで、厳密な字数を算出することができず、上の数字はその分を引いた概算となっている。
これは昨年と同じ方法なので、大きく誤差が発生していることはないと考えたい。

 

アクセス数についても、少し触れておきたい。
普段から誰かに読ませることを念頭に置いていないから、訪問者の数なんて気にしていないのだけれど、それでも一年経過という区切りで比べてみるのは悪いことではないだろう。

昨年のゴールデンウィーク時点では、一年間の合計アクセス数が2,576だったらしい。一日あたりの平均は7といったところだ。
一方で今年は、現時点での合計アクセス数が7,307となっている。5/6〜5/9の間に51増えているため、5/5時点では7,256ということになるが、昨年分を除くと4,680、一日あたりの平均は12.8ほどになる。
記事の増加に伴って、他人の検索結果に引っかかるポイントが増えるのは当然なので、この結果は自然なことではあるけれど、思っているよりも見られているという印象を受けた。

解析してみるとリピーターが極端に少ないから、偶然どこかの誰かが一瞬だけ開いたというパターンが大半を占めるのだろうが、それでも想定よりは多い。
こんな長々と役に立たない文章を書き続けているだけの、読み手を考慮していない読みづらい記事ばかりのページに時間を割く人間がいるとは、なんとも奇妙な話だ。

 

さて、生活に大きな変化が起こって時間がまったく取れなくなる、なんてことがなければ、倒れて意識を失いでもしない限りこの習慣は続いていくだろう。
あるいは何かしらの心変わりとか、モチベーションの著しい低下とか、更新停止に繋がる要因は他にも思い当たらないわけではないけれど、暇さえあれば基本的には継続するつもりではある。
一番の懸念は、やはり書くネタがなくなることで、先月や先々月にその悩みは何度か書いた覚えがある。
どうしても無理になったら、毎日の更新が厳しくなる日がやって来る可能性は、一応ないことはないだろう。

絶対的に対人コミュニケーションの少ない私にとっては、こうして自らとの対話機会とも言える作文の習慣は、脳を活性化させる貴重な時間でもあるため、人間性を失わないためにも続けることには価値がある。
本音を言うと、他者との接触機会が増えるほうが長い目で見ると望ましい気がするので、書かなくて済むようになる生活を目指すべきなのだろうが。