K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

夕方の時間

WoTとかいうゲームで昨日から始まったSTEEL HUNTERというモードだけど、去年はそれなりに楽しめたから少しばかり期待していた……が、残念ながらお得意の改悪によってクソゲーになり果てていたので、ストレスしか溜まらなかった。昨日と今日で終わらせたけど、二度とやりたくない。まぁ来月もやることになるのだが。
本当にゲーム作りのセンスがないんじゃないか。フロントラインのほうが幾分マシというものだし、ああ貴重な時間がもったいない。

わざわざ別で記事にするまでもないので、適当に不満を垂らして記憶から消しておくことにする。

 

夕方の、仕事が終わった後の時間というのは、ちょっと風情があって好きだ。いったいなんの風情なのか、自分でもよくわからない。感覚的な話だ。
一日が終わりに向かっていく時間帯、黄昏時の匂いとでも言うべきか、私はそれを意識した瞬間に、思わず異世界に飛び込んだような錯覚に陥る。

もちろん世界に異変が起きたわけでも、ましてや自分がファンタジーに巻き込まれたわけでもない。それでも、私が世界に対して感じるさまざまな要素が、その短い間だけ、ガラッと雰囲気を変えるのだ。敢えて言葉で表現するなら、永遠に猶予が与えられたような心地よさ、とでも言えばいいだろうか。
陽が沈みきって夕飯を食べ終える頃には、その不思議な空間は霧散している。

そういえば、逢魔時なんて言い方もする。それを題材にした漫画などが、きっといくつかあるだろう。
あながち、空気の変化を感じるというのは、気のせいではないのかもしれない。いつか本当に不思議な存在に出会えるとしたら、きっと毎日の夕刻がもっと楽しみになる。

 

似たようなことが、とあるタイミングで発生することがある。それは、別に夕方の暗い時間に限らず、何かに集中しているとき。熱中しているとき。楽しんでいるとき。
それも中盤が過ぎたあたりで、一瞬だけ我に返った刹那のことだ。これまで意識の外にあった周囲の状況や出来事を瞬時に察知し、私の頭の中では強烈な不一致が起こる。物事に集中する前に認識していた心象と、目の前にある現実との不整合。それを瞬間的に脳が補正しようとした際に、私は奇妙な空間に迷い込んでしまうのだ。

やがて集中力が蘇り、私は再び自分の世界へと突入しようとするが、どうしてもそこで意識の片隅の残るものがある。それは、もうすぐ終わりだ、という焦りに似た感情。現実を見たことで、自身が向き合っているものと自分との関係性を客観視してしまうのだろう。元のように何もかも忘れることが、無我夢中になるということが、できなくなる。

一方で、しかし悲観するわけではない。むしろ、そこから先の結末に向けた心構えはできたぞ、という心身に対する知らせのようなもので、残された僅かな時間の価値を最大限に享受してやろうという気になることが多い。後悔のないように。心残りのないように、私は全力を出す。

 

夕方とは、一日が終焉に向かうためのひと時だ。もしかすると私はここで、その一日というやつと、いったん距離を置いているのかもしれない。冷静になることで、よりいっそう、残された一日の時間を楽しみたいという心が強固なものとなる。
不思議な心地よさというのは、それらが表出した結果なのではないかと、ふと思った。