K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

喉が弱い

そして耳も弱い。
慣れないことをすると痛い目を見るということが、よくわかった。

 

テレワークゆえ、何かの説明をするためには音声通話が主体となるわけだが、伝えなければならない情報量が膨大だと、それだけたくさん喋る必要がある。
このところ最低限の会話しかしない生活が続いていたため、突然に酷使される喉が悲鳴を上げて、声質がおかしくなった。喋り慣れている人にとっては大したことないような会話でも、貧弱な声帯は無理を感じてしまう。
加えて、ずっとスマホを耳に当てる形で説明しているものだから、耳の奥が疲れる。左耳だけ鼓膜を極端に使ったせいか、妙な痛みを感じていて気持ちが悪い。

スマホにマイクつきのイヤホンでも挿せば解決する問題かもしれない。ただ、社用携帯というのはなぜか困ったことにiPhoneが重用されている。
私はiPad以外の林檎製品が大嫌いなので、当然Lightning用のイヤホンなんて持っていないし、プライベートで使わないのだから買うつもりもない。
これほど長電話をする機会も今日限りであろうから、もう終わった苦しみだと考えれば済む話ではある。

久しぶりに長々と喋ってみて思ったのは、意外と私は落ち着いて言葉を繋ぐことができるということ。
ほとんど一方的な説明なのだから、頭の中には話す内容があらかじめ整理されていて、スムーズにいかなければ無能の烙印を押されても仕方ないことで、だから当然の仕事を果たしただけだ。けれど、絵や文章と同じように、口に出して話すという行為も、期間が空いてしまうとアウトプットに苦戦するものだと思っている。
今日、私が比較的うまくできたのは、自宅というリラックスできる環境と、普段から「言葉を使う」ことに慣れているからかもしれない。今年の春頃には、おそらくできなかったことだ。

あぁそれにしても、耳の奥を貫いて左側頭部全体が痛み出してきた。ぴえん。

かなり疲労困憊の私だが、新しいことばかり吹き込まれた彼はきっと、頭がパンクしそうになっていることだろう。かわいそうに。
本来は二か月ほどかけるべきところを、実質二週間ほどに圧縮しているのだから、相当に無理をさせてしまっている。
あくまで私から見て、あまり覚えがよくないほうだと思っているけれど、真面目で真剣に取り組んでいる姿を見る(聞いている)と、同情を禁じ得ない。

伝えられることはほとんど伝えたつもりなので、あとはうまくやってくれることを願うのみだ。