K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

支配への抵抗

話題になっているFacebookの件、とても嫌な時代になったものだなぁと思う。日本人としては特に。
いずれGoogleAmazonのように、生活の中に欠かせない存在としてFacebookアカウントを運用しなければならない時代が来るのだろうか。いや、本当に恐ろしいことだ。

 

流石にこの時代、Googleに関してはほとんど必須のインフラという認識があって、インターネットを使うことがイコールGoogleのサービスを利用するみたいな感覚に近いから、わざわざ変な意識を持つことはない。
私はAndroid派でもあるし、ブラウザはChrome以外には慣れたものがなくて、メールにおいてさえ不可欠なわけで、もはや「そういうもの」として育ち、生きている。

Amazonについても同様で、自分で買いに出かけるよりも圧倒的に便利で品揃えも豊富で、アニメや映画も見られるし本も読める。要するに、こちらも生活と密接に関わる存在だから、親近感がとても強い。
実際のところは、それらよりもAWSのほうがお世話になっている可能性が高いけれど、まぁ目に見える範囲の印象でも十分だろう。

対してAppleFacebookはなんなんだろう。GAFAとか言われているけれど、サービスの規模や将来性的な意味で、上二つに肩を並べている意味がよくわからない。格が違うのではないか。
百歩譲ってAppleは、生活に密接に関わる一部のサービス体系を独自に構築しているからいいとしよう。それが欠かせないという人は、iPhone好きな日本人には少なくないはずだ。個人的には、iPadだけ作っていればいい企業だと思っているけれど。

しかしFacebookは、ただのSNSだ。人と人との交流が前提としてあって、個人だけでは完結できない。他のものとは根本的に性質が異なる。
たとえば、アカウントがあれば様々な機会で認証に使えるから便利、というのはあるかもしれないが、同じことはGoogleでも可能なわけで、一般的な日本人としての生活においては、ほとんど必要性を感じないのだ。外国のことは知らないし、今のところ興味もない。
さて、好きでもなく大して詳しくもないサービスについてネガキャンしても、あまりいいことがないだろうから、このくらいにしておこうとは思うが……やはり、Facebookは日本人の気質と致命的に相性が悪いと思う。

 

私もまったく関心がなかったわけではないし、かつてアカウントを作成したこともあった。一応、本名で作ってはみたものの、自分から動かなければ誰との接点も持てないのは当然のことで、例によってインターネットコミュ障の私は何もできずに放置してしまっている。
かつての知人を見つけたところで、日頃から交流がなければわざわざ関わりにいこうなん思わないものだし、友人のいない人間が日記代わりに使うには、あまりにもデメリットが大きすぎる。気軽に匿名で発信したいならTwitter、私のようにオナニーを垂れ流したいならブログ、という風にそれぞれ相応しい場所が用意されているわけで、Facebookという異世界はある意味で禁断の領域に近い存在なのかもしれない。

日常的に使わないためログアウトしているのが基本というか、スマホを購入したら、まずFacebookのアプリをアンインストールするところから始めるくらいだったのだけれど、ある時、困った事態に陥った。検索結果の上位にFacebookのページが出てくるのだ。開こうとするとログインを求められて苛立たしい。だから仕方なく情報閲覧のためだけに、しぶしぶ偽名アカウントを作成したことがあった。
そこで思った。万が一、誤操作で他人にアクションを仕掛けてしまっても、これなら安心だ。やっぱりインターネットは匿名性がないとダメなんだ。

小学校や中学校、あるいは高校などの、既に完全に縁が切れてしまっているはずの人間を検索してみると、意外と出てくることに気づく。みんなやっているのか、とページを開いてみると、ほとんど更新がなかったり、最終更新から五年以上が経っていたりして、ああそうだよね……という、なんとも言いがたい妙な気持ちになる。近況を知ることができないのは残念だけれど、一部の活用できている特殊な人を除いて、日本人なんてこんなものではないか。たまに思い出したように更新することはあっても、続かないし反応も少ない。*1
その人が何をしているのか、一方的に知ることができるというのは、すごい時代になったことを実感するとともに、私みたいにちょっとしたネトスト行為*2に快楽を覚えてしまうヤバいやつが、そこら中に潜んでいることも警戒しなくてはならない。一歩間違えて身バレに繋がる情報を出してしまった日には、落ち着いてインターネットを使うこともままならなくなる。無闇に顔や名前を公開して平気でいられるほど、私は自分の神経を図太いとは思っていない。

さて、それくらいに壁を作って距離を置いているFacebookだけれど、これが必須なんてことになったら大変だ。サービスを利用しないか、それだけのためにアカウントを新しく作成するか。いずれにせよ、GoogleAmazonと同等だと思っていない以上、非常に不愉快な感覚を抱くことになるだろう。
私はきっと、サービスを諦めるほうを選ぶ可能性が高い。

それにしても、何やら最近になって作成されたアカウントは原因不明のbanに遭っているらしいし、普段使いのアカウントを持たない人間は生きる資格がないと言われているようなものではないか。
やつらが今後ますます勢力を拡大し、インターネットサービスに侵略してくる流れの兆しのように思えて、嫌な予感しかしない。

*1:もしかしたら最近ではインスタが一般的なのかもしれないけれど、私には写真を上げて何が楽しいのか意義が見出せないのでわからない。悲しいなぁ。

*2:私の場合は、相手に一切の影響を及ぼさないように閲覧する、リアルの知人のみが対象の行為。ただひたすらに、私が知らないけれど別の場所で公開されているような情報を多角的に貪るだけ。