K's Graffiti

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依存媒体

日本に住んでいる一定年齢層以下の人間は、多かれ少なかれTwitterを見る時間が日常の一部になっていることだろう。私は基本的にSNSというものが得意ではないため、類似サービスであるTwitterへの依存度は同世代の平均値よりも随分と低い自覚はあるのだが、それでも現在の騒動を知らないわけにはいかなかった。
おそらくこの傾向は2011年の震災以降に顕著になったと思うのだが、冷静に考えてみると、日本社会はあまりにもTwitterを前提にしすぎているように思う。

 

ググれば出てくる経緯については割愛するとして……突然、Twitterという便利なツールが不能になるとどうなるのか、多くの人は思い知ったのではないだろうか。
個人的には情報収集のためのサイトという認識でしかないけれど、他者とのコミュニケーションが活発な人にとっては友人知人とのマルチな連絡手段や交流手段として捉えているのだろうし、若者の場合は人生の半分以上をTwitterとともに歩んできたというケースも珍しくないはずだ。
それが、いきなり制限されて何もできなくなる。当たり前に存在していた居心地の良い場所が奪われる悲しみは、私には具体的なレベルで理解することが難しい。けれど、想像は容易い。

以前からTwitterの使い方については、他国と日本との違いが指摘されることがしばしばあったように思う。これは表意文字を扱う日本語との相性が最高だったことや、文化的な背景の影響が大きいと考える。
リアルタイムで他人の発信を取得できるシステムは災害時の連絡や情報を共有するために最適だし、かつては匿名掲示板やSNSの狭いコミュニティなどで展開されていた無数の自己表現が、従来サービスの衰退に伴い、そして人目につきやすいという理由もあって、いつしか公共インフラのごとく集結するようになったのだ。
長い時間をかけて人口が増大し、人が多いからこそ一層、振る舞いや発信内容が重要になる。今やユーザーは一個人にとどまらず、企業が公式に情報発信の場として活用するようになっただけでなく、政府でさえTwitterを通じた情報伝達を重視するようになった。
しかし、これを運営しているのは他国の私企業なのだった。

はたして、これがTwitter社の想定通りだったのか定かではないし、きっと想定外だったような気がするのだけれど、とにかく現状の日本社会の一部はTwitterなしには成立しなくなっている。
これだけオープンに多くの人がアクセスできる情報サービスは、他には存在しない。いくつか代替候補として挙げられている他社サービスや他媒体に関して調べてみたけれど、同じような形で移行できるとは到底思えなかった。
コミュニティの分断が起こったり、情報を集めるための経路が歪んでしまったりして、ユーザビリティの低下は免れないし、既存のTwitter利用者が移住先を求めて一気に押し寄せたら、サーバーはパンクするだろう。
また、Twitterが万年赤字であったように、これだけの規模を支えるための維持費はバカにならない。個人で運営している分散型のサーバーなんかは、いつ潰れても不思議ではない上に、仮にどうにか資金を集めて増設したとしても、元凶のTwitterが元通りになったら意味がなくなるためリスクが高い。
結局、何かしらのブレイクスルーでも起こらない限り、Twitterという仕組みはどう転んでも収益化が難しく、遅かれ早かれ崩壊する運命にあったのではないかとさえ思ってしまう。

今後、Twitter社が赤字を垂れ流しながら開発・運営を続けるか、改善を断念して大多数のユーザーが不便を被りながら、長い年月をかけて別のソーシャル空間を見出していくのか知らないけれど、とりわけ依存度の高い日本人にとっては大変な未来が待っているような気がしてならない。
まともに使えなくなってから一日も経たずに、これだけの不満が噴出している世界で、多くの人間は膨れ上がったストレスに耐えながら生きていくことはできるのだろうか。
この「仕様変更」が本当に一時的なもので、一週間もすればあらゆる問題が解決している、なんてことになればいいのだが……ざっと識者の意見を見渡した感じでは、杞憂に終わることはなさそうな雰囲気に思える。
もっとも、今回の日記は日本の特異性に焦点を当てながら書いているけれど、流石に海外ユーザーにとっても異常事態で非常事態なのは確かなようだから、近いうちに溜飲を下げてくるような気もする。いったん落ち着いた後、不完全な収益モデルと運用体制への不信感がどう作用していくのか、注目していきたい。

 

なお、個人的な状況を書いておくと、普段メインでログインしているアカウントは早々に使い物にならなくなったが、他のアカウントに切り替えることで難を逃れている。
もともと片手で数えられるくらいしかフォローしておらず、それも公式アカウントのみで対個人の交流は一切なかったから、TLというものがほとんど存在しなかった。
一方で、関心のあるトピックについて調べるために検索機能を使うことは多く、そういう意味では今回の制限によって影響を受けないわけではない。
ただ、24時間で制限が解除されるようなら、検索の都度アカウントを切り替えれば済む話だ。まぁ自分なりに構築したTLを更新することが日課の人間にとっては、いきなり片腕を奪われたような気分になって苦痛しかないのかもしれないが……こういう時に困りにくいのは「ぼっち」のメリットかもしれない。

それにしても、このような状況が続いていくと、単なる情報収集すら従来のようには実現できなくなっていく可能性も考慮しなければならない。今後のネット社会を生き抜いていくためには、別のサービスにしろ自らの工夫にしろ、新たな模索が求められることは避けられないかもしれない。
たとえ直接的な繫がりはなくとも、気軽に他者の営みを知ることのできる場がどれだけ貴重だったのか、じわじわと痛感していくことになるのだろうか。