K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

洗い物

昨日はカレーが便利だと書いたが、それは作るまでの話だった。
保存や片付けまで考えると、それほど頻繁に作るわけにもいかないような気がしたので、やはりパスタが最強なのではないかと思い始めている。

 

そもそもカレーってやつは一度に作る量が多い。かなり控えめに作ったつもりだったのに、昨日の残りを一気に消費しようとしたら苦しくなるくらいの大盛りが出来上がってしまい、朝食から非常に満腹感があった。しばらくはいいかな、という気持ち。

保存について調べてみたところ、どうやらカレーの鍋というのは細菌が繁殖しやすい環境らしく、冬場でもあまり放置するのは推奨されないのだとか。安全を意識するなら半日くらいが目安で、それ以上は小分けにして冷蔵あるいは冷凍したほうがいいと。
いやいや、面倒くさい。そもそも作ってから時間の経ったものは好きではないので、そういう頭のよさそうな手間のかかる作業は、個人的にはメリットが薄い。
結局、一日以内に食いきれる量だけ作ればいいという話で、昨日の自炊については感覚的な意味で勉強になった。

ただ、面倒なのはそれだけではなかった。カレーは多くの油分を含んでいるらしく、洗うのが大変だった、という新たな発見がある。水につけておいたのだが、それでも軽く洗剤で撫でただけではほとんど効果が見えず、ドロドロとした膜を張っている鍋の内側を、これでもかというくらいに擦り倒す。
一回、これでいいかと水を切ったところ、強烈な脂の跡が残っていたので随分と驚いた。案外たくさんの洗剤を使わなければ汚れが落ちないという事実を知り、また一つ生活力が身についた思いだ。
洗剤もそうだけれど、水道代や手先の労力を考えると、あまり好んで取り組みたい家事ではないため、今後カレーを作る機会は昨日思ったほどはないかもしれない。

水仕事と言えば、界面活性剤による手先の油分の減少と乾燥肌、肌荒れなどが、のちのち悩みの種となりそうなので、早いうちから対策を考えるべきかと思ったり思わなかったり。
皿などを洗った直後は、手が張ったような感覚に陥る。表面の水分が失われて、干からびるような感じ。冬の乾燥している時季だと、そのまま切れてしまいそうで、ちょっと嫌な状態だ。
とはいえ、私の掌はすぐに汗をかいてベトベトしてしまう体質なので、しばらく過ごしていれば元通りになる。むしろ、反動で余計にドバドバ噴き出しているような気さえするので、まぁいずれにせよ対策を施したほうがいいのは確かなのだけれど、急を要するというほどでもないので後回しになりそうだから、とりあえず意識付けという意味で書いておくことにする。

方法としては、作業後に保湿成分を含んだ乳液のようなものを馴染ませるか、手袋を装着して洗い物をするか、どちらかだと思う。
後者は手へのダメージを回避できるものだけれど、手先の感覚を奪うことにもなるから、細かい汚れなどに気づかない恐れがある。洗い残しの発生は余計な水と洗剤の消費をもたらすため、常にそのリスクとともに生きるのは却ってストレスになりそうだ。
前者は簡単ではあるけれど、単に忘れそうという懸念がある。乾燥が目立つ顔とは違って、手の状態というのは気にならない時は気にならないし、特に処置をせずとも今のところ回復するわけだから、面倒を理由に怠ってしまいそうだ。そして、いずれ手が荒れて困る未来が見える。

これは、意識の問題に過ぎない。手という、人生において最も活用する道具を軽視しすぎなのだ。もっと労わらなくてはならないだろう。
特に、文章や絵を日常の営みとして続けていくのならば、手先のメンテナンスはすこぶる重要度が高い。まさに人生を支えるツールとして考えれば、洗い物におけるダメージへの対処くらい、面倒なんてことはない。そういう考え方を忘れないことこそが肝要なのだと、あらためて心に命じる。

まぁ全部インスタントとか、あるいは狭い部屋に食洗器を買うとか、大袈裟なことをすれば回避できるわけだけれど、流石に極端な私でもこれくらいは妥協しないと長くは生きていけないだろう……最近は未知だった「現実」が少しずつ拓けてきているので、益体のない仮定をすることが減ってきた。
それが、いいことなのか、悪いことなのか、あるいは……判断するのは数年後の私になるだろうが、今は今の私の判断によって生きるだけだ。