K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

正月太り

正月ゴロゴロしていたら太る、とかいう都市伝説について。
確かに、実家に帰って正月に特有の料理を食べることになれば、摂取カロリーも増えるから体重もそれに従うというのは理解できる。
でも、たった数日の食事の増加が、それほど身体に影響を及ぼすものなのだろうか。


一人暮らしの生活をしていて感じたのは、意識して食べようとしないと、どんどん痩せていくということだ。
もうこんな時間だ、早く食べなくては……そうやって頑張って食事の機会を作っていたけれど、摂取カロリーは基礎代謝をギリギリ超えるかどうかといった具合で、大した運動など何もしていないのに体重は減る一方だった。

年末から年始に至るまで実家で食事をすることになったため、流石に栄養失調間近という窮地からは脱したものの、相変わらず体重に変化はない。
いつもより食べているつもりでも、減少を抑える程度の効果しかないのだ。私はどうやったら太れるのだろう。
私の家系で肥満体質の人間はいない。こういうのは、はたして遺伝なのか、親から子に継承される食生活による結果なのか。

今日の夕食は、胃が苦しくなるくらいの量だった。久しぶりに2,000kcalに届いたのではないかというくらいの満腹感。一時的に1kgくらいは体重が増えているはずなのだけれど……まるでバランスを取るかのように私の身体は余分なものを排出しようとした。
要するに、食べすぎると腹を壊してしまうのだ。吸収する前に出てしまう。
頑張って食べたはずなのに、贅肉にはならず素通りする。この悲しい体質については経験が長いから、どうせ食べても身に付かないということが、普段の意識に根付いている。
これ以上はお腹が痛くなるから、食べても意味がない。そういうラインが私の中に存在する。食べた分だけ血肉になるという人が、それはそれで悩みがあるのだろうけれど、私にとってはひたすら羨ましい。


昨年は友人に会う機会がほとんどなかった。今年も、今のところはそういうチャンスが回ってくる可能性は低そうで、状況は悪化するばかりだからますます想像上の私と現実の私との乖離が激しくなることだろう。
次に会った時には、きっとひどく痩せた点を指摘されるに違いない。会うことなんてあるのか、という疑問はさておき。
まぁ気軽に付き合える友人の多い人は、こういう状況でも関係なく遊んでいるのだから、単に私の人望が皆無に近いだけなのだけれど……というか、こういう状況だから私のような親密度が低めの人間は優先度が下げられるわけで、いつまで経っても何かを一緒にしようという話が回ってこない。
このまま一生、一人なのではないかと悲しくなる。

孤独に包まれ、体重は減っていき……こういうのを客観的には「惨め」と言うのかもしれない。
別に一人でいることについても、痩せることについても、主観的にはネガティブではないのだ。そうであることを、おそらく半分くらいは望んでいるわけだし。
ただ、そうでない選択肢が、それを回避するための選択肢が、現状では一切見当たらないということが、少しだけ残念に思う。
だって、やはり選択肢は多いに越したことはないし、他者の目を気にしなくなった時点で人間は歩みを止めてしまう気がするから。

私は手先が器用なほうだけれど、どうせならもっと、人間関係に器用な人間でありたかった。手先が器用でも見せる相手がいないのでは、あまり面白いことにはならない。
まだまだ、いくらでもチャンスは転がっているはずなのに、それを捉える術を持っていない。誰かと繋がるための接点は、いったいどうやったら認識できるようになるのだろう。