K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

忘れていた味

昨日は大変に有意義だった。
知人と映画を観て、適当に遊び、帰りは24時近く……会ったのが、年末とか正月ぶりだったこともあって話題は尽きず、久々に人間らしい表情を取り戻せたような気もする。

 

普段はアルコール飲料を滅多に飲まないのだけれど、大学時代に仲がよかった人間と会えば当然そういう機会が訪れるわけで、少し無理をしたかもしれない。
羽目を外す、というやつになるのだろうか、およそ半年分くらいは飲んだ気がする。と言っても基準が極少なので、日常的に酒を飲んでいるような人間の一日分にも満たないのだろうが。

非常に楽しかったことは楽しかったのだけれど、歩き回ったり酒を飲んだり、普段やらないこと、慣れていないことには反動が付き物だ。今日は、文字通りずっと寝込んでいた。
いくら寝ても全身が怠くて、目蓋が重い。布団に入って目を閉じれば数時間が一瞬で過ぎる。わかっていたことだった。体力の低下は思い込みなんかではない。
いきなり明日から行動に移せるわけではないと思うが、そろそろ定期的な運動を生活の中に取り入れていきたいと、本気で考えている今日この頃。一応、数日前に始めた筋トレは短時間ではあるけれど続けている。効果が出始めるのは、いつになることやら。

そんなこんなで、昨日の夜に書くべきであった映画の感想は後回しとなり、残念ながら今日も体力的・時間的に厳しい状況だ。
記事の更新については、別に誰かが期待しているわけではないから、これは自分自身の問題だ。いつでもいい。だからこそ、決めたタイミングで確実に形にしなければならない。あんまりずるずると先送りにしていると、一生やらない可能性だってある。
映画から感じ取ったものは確かにあって、それを言語化したいという意欲もあるから、明日は確実に書くことにする。


家族や職場の人間以外と久しぶりに会ったことで思ったのは、どれだけ孤独であることに慣れていても、他者との交流は悪くはないということだった。
友人がいないから、誘われないから、一人でも構わない、なんていうのは、ただ拗ねて言い訳しているだけなのかもしれない。

相手が許すのであれば、月に何回かは会ってもいい。そう思えるくらいには居心地がよかった。
……しかしこれ、なんだか上から目線で、書いていながら気に食わないな、と思わないでもない。
つまりどういうことかと言うと、私が相手に対して保ちたいと考えている距離感の話だ。私は大学時代からずっと、頻繁に会いすぎている人とは敢えて距離を置くようにしていた。仲のいい人間(これが友人というものなのか、私はまだ判断できない)と一緒に何かをするのは楽しく、それは貴重な時間だ。同時に、快楽をもたらしてくれるがゆえに、ある種の中毒性を孕んでいる。わかりやすく言えば、依存ということになる。私はそれを危惧していた。頼りにしすぎると視野狭窄となり正常な判断力は失われるし、そもそもいつ断ち切られるかもわからない。人間関係とは、強固に思えて案外脆いものだ。
したがって、そういう背景を踏まえて、依存しない程度に会うのは悪くないという趣旨で書いたものだった。決して偉そうに「会ってやってもよい」という文脈ではない。
……いったい誰に説明しているんだか、もはや意味不明だけれど、これは自身に対する認識確認の意味合いが強い、ということにしておこう。

まぁこれをきっかけとして、私に対するフットワークを軽くしてくれたら幸いなのだけれど、高望みだろうか。
一人でも時間潰しには困らず、積極性に欠ける私は、自ら他者を誘うということがほとんどない。誘われたら嬉しいくせに、誘うのは無理……という、どうしようもない性格は、今さら改善するには労力がかかりすぎる気がする。
いい具合に手を差し伸べてくれるお人好しがいればいいのだけれど、世の中そんなに都合よくはいかないだろう。