K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

他人の文章力について思うこと

私は幼少期から小説なんかを結構読んできたから、きっと「うまい文章」というものに慣れている。
私の中にある標準的な文章レベルは、だから世間一般の平均的な人間が綴るものよりも、高い位置にあるのだろう。

 

こうやって毎日、日記を書き続けているのは、文章を生み出す力を低下させないようにするためと、できることなら向上させていきたいという目的があるからだ。
他のあらゆる習慣と同じように、文章も書かなくなると能力が落ちる。語彙力と構想力の低下が合わさり、油断していると小学生並みの文章しか書けなくなってしまう……ような気がする。
まぁこういうのは長年の積み重ねもあるから、一時的に力を失っていても、しばらく書く習慣を続ければ勘を取り戻せるとは思うけれど。

昔から、よく国語の教師なんかに文章がうまいと言われてきた。
もっと「うまい文章」を見慣れている私からすれば全然大したことがないので、お世辞だったかもしれない。私には判断する術がなかった。
ただ、他にもたくさん生徒がいる中で、あえて私にそういう言葉をかけてくれたということは、集団において私の力が相対的に秀でていたということを示しているように思えないでもない。
私は自らの文章に関して、あまり好意的に評価できないでいる。どちらかと言えば、常に自信がない。いや、自信はあるんだけれど、その自信に対して確証が持てないような、不安定で曖昧な自信。だから、思いのほか評価されることがあると戸惑ってしまうし、もっと上手に書けるはずだと不断に思い続けている。昔も今も、それは変わらない。

世の中に出ている、よく目にする数々の文章は、プロの手による産物だ。小説に限らず、記事や広告など、何かを説明したり紹介したりするもの。あれらは、よく出来ている。流石に、その辺に転がっているものに比べたらレベルが高い。
最近ではSNSなどで、プロではない一般的な人間の文章を見る機会が激増した。日常的な話題であれば特別な文章力なんて大して必要とされないし、難しいことを語る輩はたいてい専門家であるから、プロみたいなものだ。
案外、発信者と内容のバランスが取れていて、違和感のない文章が多い。

だから、他人の文章を読んでみて、その文章力のあまりの低さに驚いたことは、私にとって予想外の出来事だった。
日本語がおかしい。教養の問題だろうか。真面目に書いて、こんな感じになってしまうのだとしたら、とても恐ろしい。
名状しがたい感情が湧き起こるのを抑えつつ、私は文章がうまく書けない人間について考えを巡らせてみる。

彼らはおそらく、本をあまり読まないのだろう。他人の文章表現に慣れていない、というか知らないから、語彙を含めてパターンの蓄積が行われていない。
加えて、他者の目を意識して文章を構築するという経験も著しく不足しているのだろう。自らの思考を表現するための、客観的な視点が持てないのだ。言いたいことがあっても、出鱈目な骨組みと貧相な肉しか材料がないため、つぎはぎの言葉の羅列を作ることしかできない。本人としては満足かもしれないが、読んでもらうための配慮が欠けているために、まるで理解不能な文字列と化してしまう。
極端な話、こういうことだ。

Twitterで他愛ない呟きを投稿するためには、ほとんど必要のないスキルだ。専門的な事柄について複数ツリーで思考を展開できる人も、もちろんたくさんいる。ただ、多くの人間は、使う言葉や文脈を考慮した言い回しなんてものにこだわりはなく、思いついたままの文字を吐き出しているに過ぎない。
いざ誰かに見せようと思っても、自分用の言葉しか扱うことができないのだ。

こればかりはセンスの問題だから、教えることができない。厳密に言えば、文章を書く際に注意すべきことを列挙して示すことは可能だけれど、そんなもの、私は無意識にやっていることだ。逆に言えば、無意識に落とし込むまで効率的に動作しない技術とも言える。
要するに一朝一夕で身につけるのは、超人的な吸収力がなければほとんど不可能に近いわけで、仮にそんな能力があれば問題視されるはずもないのだから、つまり長い時間をかけて慣れていくしか方法はないということになる。

油断すると傲慢になってしまうのが人間の性というものだから、私は個人的な能力について、日常的には過小評価しようと努めている。
そんなわけで、客観的に認められない限りは、なかなか納得できないし成長を感じるのも難しいのだけれど、それでも、こうやって明らかにレベルが低いものと比較する羽目になると、それほど悪くないのではないかと、感じることができる。感じてしまう。
文章だけでなく絵にも言えることだ。まぁ絵については比較対象がないため、自らのダメ出しを食らいまくっていて苦しい期間が続いているけれど……とにかく文章にしろ絵にしろ、まだまだ伸び代は無限にあるし、今のところ、そこは不安視していない。

当面の気がかりは、失礼ながら私よりも圧倒的に劣る彼が、今後どうやって立ち回っていくのかということ。
覚えが悪い。基礎能力が低い。いやいや、まだ知り合って一か月程度なのだから何もわからないだろう。難しいよね。できるヤツなんてのは稀だ。世の中だいたいそんなものなんだろうけれど、ここまでの能力面に関する印象が好ましいものではないから、はたして無事に育ってくれるのかと、私はこの先しばらく気にしてしまうのだろうな。永遠の別れになる可能性のほうが高いというのに。
人を育成するのって大変なんだなぁと他人事のように思う、今日この頃なのだった。