K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

日課表を作った

新しい環境に移ってから即スタートという風にはいかず、およそ一か月が経過してもいまだに前提条件が整っていないという無計画さに、心底呆れる感情と「知ってた」という半ば諦めのような気持ちになっている今日この頃だけれど、そろそろ腰を上げて本格的に始動させたいとウズウズしている私が、心の中で怠惰な私を攻撃し始めているので、このままでは精神状態が危うくなる。
しかし急に動き出しては却ってガス欠を起こしかねないため、ひとまずは大まかな計画書を作成し、それに則って身体を温めていくのがよいだろう。そういう考えのもと、時間に沿って日課を敷き詰めた表を作成した。

 

しばらくぼんやりと暮らしてみて思ったのは、一日の時間というのは長いようで短いということだ。けれど、やっぱり長い。当たり前のことだけれど、それをしっかりと認識しておくのは結構重要なことで、うっかり忘れてしまえば痛い目を見ることになる。
自分で思っている感覚と、物事に費やすべき実際の時間には多かれ少なかれ乖離がある。その差を埋めるためには、ある程度の期間どのように過ごし、どれだけの余裕が生まれたのかという、現実的なデータを使うのが最も効率的だろう。
私は過去二週間ほど、日常のあらゆる出来事に対して使った時間を、細かくではないが把握できるようにしていた。起床してから完全に目が覚めて行動できるようになるまでは、どのくらいか。食事を用意して食べ終え、片付けるのには何分かかるか。時間の経過を失念している時は何をしていて、暇だと感じる時はどのような場合か。あるいは、それはどのくらいの長さか。
なんとなく、という感覚的な話ではあるけれど、おおよそ私が普通の生活をした場合に必要な、それぞれの営みにおける消費時間を理解することができた。

 

まず、生きていくために絶対に欠かせない事柄がいくつかある。わかりやすいもので言えば、睡眠と食事だ。前者は平均すると7時間くらいは欲しくて、後者は一日二食でもいいが、準備と片付けを考慮すると2時間は使うことになるだろう。
そこから着替えやトイレや歯磨きや、そういった毎日必ず行うことをざっくり差し引くと、残りは14時間半ほどという想定になる。

ここで、ある意味で修行だと前々から書いている、目標に到達するための過程には、相当な時間が必要だと考えられる。それも浪費ではなく、しっかり使うことが前提だ。もし、すべてを代償にして臨むという強い意気込みがあるのなら、その14時間半を丸々充ててしまうのも悪くはないかもしれない。かもしれないが……それはきっと、心身ともに健康ではいられないだろう。
数日間なら問題なくても、何十週間という長さを考えるなら、とても継続できるとは思えない。本気の集中力には限りがある。

物事にはメリハリが必要だし、何しろ私は好奇心があるほうなので、ちょっとネットで話題になっているアニメだとかゲームだとか、何かしらの新しい刺激物に、ついつい触れてハマってしまうことが珍しくない。
まぁこういうのは、本気で一つのことに取り組むためには不要だと切り捨ててしまう考え方の人もいるだろう。私は正解などなくて、個々に模索していくべき人生における課題の一つだと捉えているから、他者の偉そうな意見よりも自分の熱が向いていく方向を信じたいと思っている。
というわけで、その時々で気が向いていることに熱中するための時間も、毎日少しだけ確保することにした。習慣として見ているアニメや、読書などの時間もゼロにはしたくないため、それらを合計すると一日あたり4時間程度になる。数字にしてしまうと「そんなに?」という感じはするが、趣味とはだいたいこんなものだろう。
それに、特にやることがなければ、引き続き課題に邁進すればよい話なのだ。

残りは10時間強だが、そこから運動のための時間を抽出したい。散歩やストレッチなど、今も日課にしていることで、日によって変わるけれど平均30分と考えておけば問題はないだろう。ちなみに散歩は毎日ではなく、週に二度の長距離という設定にした。
あとは、優先事項特大の習慣である、この日記を書く時間だ。平均時間は……これも変動するので難しい気がするけれど、1,500字~2,000字程度であることが多いので、40分くらいを見ておけばよいだろうか。あまり自信がない。調子のいい時は時速3,000字ペースだったり、悪い時は1,200字くらいしか書けなかったり、とにかく速度には安定感がない。とりあえず多めに見積もって1時間としておく。

さて、残った時間はおよそ8時間半となり、多いのか少ないのか微妙なライン。残業が多い労働者からすれば、短いことだろう。ただ、仕事中にぶっ続けで働いているかと言えばそうではなくて、勤務時間のうち20パーセントくらい(この数字は適当)は何もしていなかったり息抜きをしていたりと、非生産行為に時間を使っているものだ。
そのほうが能率が上がるし、ダラダラやっているよりも何倍もマシだと、科学的にも証明されているのではなかったか。確か。

一日に行う日課で予定を埋めていくのはいいけれど、すべての行為が時間の切り替わりと同時に次の行為に移行できるというわけでもない。ちょっとした休憩や、具体的に何をするわけでもない穏やかな時間、そういう心のゆとりを維持するための空白も、長い目で見ると、あったほうがよいのではないかと、私は思うのだ。
ゆえにこれも、ざっくり1時間ほど確保しておきたい。

 

皮肉なことに、課題にフルで使えそうなのは約7時間半と、一般的な企業の規定労働時間と大して変わらない結果となった。
しかし、これはちょうどいいのではないか。労働者として働く感覚を、この先も忘れることなく生きていける可能性がある。あぁいや、こう書いてしまうとマイナスのイメージになってしまうかもしれないけれど、つまり堕落せず、健康を損なわず、いい塩梅に集中力を保ったまま長期的に取り組むことができるバランスが、そこにはあるのではないかということだ。

労働時間はもっと短くてもいいのではないかという意見があって、私もそれには賛成なのだけれど、ここで書いている課題とは基本的に「やりたいこと」であって、与えられる作業を嫌々ながらに片付けていくというモチベーションを削がれるような性質のものではない。楽しみとか喜びとか、自分にとってプラスになる要素が付加されているからこそ、時間の長さは別に気にならないだろうし、むしろ短いとすら感じるかもしれない。
そもそも、不都合が出たら日課表を調整して、各行為に費やす時間を状況に応じて適切な形に作り替えていけばいい話だ。自分で計画を立てることのメリットの一つは、その点にあるのだから。