K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

金と時間と

「ボーナス」がトレンドに上がっていたので、今日は賃金をテーマにしてみよう。
とは言っても専門的な話ではなくて、私が貰っていた給与に関するものだから、誰かの役に立つものではないのだけれど……結局のところ結論は「労働はクソ」に落ち着きそうな気がしている。

 

公務員とか一流の大企業とかなら話は変わるのかもしれないけれど、そういう相対的に優れていると思われる機関について、私は具体的な知識をほとんど持っていないし興味もないから、ここで言及することはない。

私の所属していた会社は、なんというか一応は東証一部上場の大企業ではあるのだけれど、それなりに歴史がある分だけ制度面の変更には腰が重く、特に給与体系は業界的に平均以下の水準だったと言っていい。
今年は様々な変革を求められたから、流石にテレワークへの対応などは頑張っていたようだけれど、根本的な労働に対する報酬が十分とは思えないものだった。

まず、基本給が低い。まぁ新卒入社で初任給が思っていたよりも少ない、なんてことは別に珍しい現象ではないだろうから、そこは一年か二年だけ我慢すればいいというのが一般的なところかもしれない。
もっとも、二年目、三年目になると住民税が重くのしかかってくるため、昇給しても大して変わらないという現実がある。そういう若者の苦しさには、そこそこ普遍性があると思っている。
だから多くの労働者は、残業をしなければ満足のいく収入を得られない。同期入社の一人に、残業をさせてもらっているという考え方の人がいた。驚いた。残業代なんて、貴重な自らの時間を犠牲にして得られるネガティブな手当であって、正直なところ割増賃金であっても対価に見合わないと私は考えているからだ。
自由時間は労働時間よりも圧倒的に価値がある。そんなわけで私は、自らの意思で残業することは決してなかった。

残業しないよう効率的な動きを極めようとしていたおかげか、定期的に実施される上司からの評価において、私は毎回プラスの査定だった。どうやら相対評価だったらしく、積み重ねたポイントで言えば同期の中で飛び抜けた存在だったと言ってもいい。昇給の倍率は他の人と比べておよそ1.2倍くらいの些細な差ではあったけれど、着実に自らの単価は上がっていった。
それでも私は、会社で働いて賃金を得ることに十分な見返りを受けていると感じたことは、ほとんどなかった。なぜか。
簡単な話をすると、私の月の手取りが20万円を超えたことは一度もなかったのだ。
面倒な作業を押しつけられて、いやいやながら10時間以上も残業した月ですら届かなかった。10時間なんて二、三日あれば達成余裕とかいうブラック労働者の気持ちは理解に及ばないけれど、私にとってはこの程度でも深刻なほどに苦痛だった。
というより、問題はそこではないのだ。大切な時間を割いてこれっぽっちという現実に納得がいかなかった。別に金持ちになりたいわけではない。年収パワーで周囲を圧倒したいわけでもない。ただ、低賃金のくせに長時間の労働を求められるのは不本意だという、単純な話だった。
私の場合は、あまりにも自由時間に重きを置きすぎているので、一日拘束されてしまうフルタイムの労働は相性が悪いのかもしれない。甘えと言われようが、駄目なものは駄目なのだ。数年間、頑張って我慢してきたけれど、このまま何も変わらず数十年が経過していくことを考えたら生き地獄にも等しく感じられて、いつしか一刻も早く脱け出すということが最優先目標になっていた。

そもそも、そんな企業に入ったのが悪い、と思われても仕方ない。しかしながら、私は上に書いた以外の点においては不満などなかった。部署によるが基本的に残業を強いるような社風ではなく、世間的にはホワイトと言ってもいいくらいだ。多くの社員は温厚な人柄をしていて、ポジティブに評価するなら居心地は非常にいい。私にとっては致命的に「やりがい」に欠けていたというだけであって、それはしばらく勤めてみなければ知りようがない要素だった。
仮に中年以降に転職して入るならば、きっと悪くない待遇を受けられることだろう。

ちなみに、在籍していた期間の昇給率は平均すると年あたり1.38%といったところだった。これでもプラス査定の分が含まれているので、他の同期はもっと悲しい現実に直面していると思うのだが、おそらく彼らは残業することを私ほど苦にしていないのだろう。年収で言えば、私は同期の中で最下位付近にいたはずだ。
それにしても、初任給が最も高給という竜頭蛇尾を耐え抜いた末、見上げることになるのは大企業の平均レベル。そこまで上げるにはあと何年、従事する必要があるのだろうか……ふと疑問に思い試算してみたのだけれど、結果は最低でもこれから十年は続けなければならないようだった。
一つのところに留まり続けて、組織の一員として深みのある人材に成熟する。そういう選択も、また人生だろう。私には真似できないし、その精神力は尊敬に値する。
でも十年もあれば、きっと他の道に進んでも成功できる可能性はあるはずだ。懊悩のトンネルから抜けて、まったく新しい選択肢が閃いてからは、迷う理由なんて、もはやどこにも見つからなかった。

社員の平均年収を押し上げているのは役職者で、それはどこの企業でも同じことだろうけれど、その傾向が特に顕著だったように思う。
いくら客観的に見て仕事ができる能力があったとしても、そして出世が早かったとしても、プライベートの時間がプライマリの私が、企業に身も心も捧げる役職者として活躍できるとは到底思えない。長い時間をかければ考え方に変化が生じることもあるだろうが、そうやって徐々に視野を狭めて染まっていくというのは、私にとって望ましい未来ではない。
どのみち、暗いビジョンしか浮かばなかったのだ。

給与面に関して唯一の長所を挙げるなら、それは賞与がそこそこ低くない倍率で固定されていたということ。業績に関係なく安定感のあるボーナスは、労働意欲を削られるばかりの現場において数少ないインセンティブだった。とはいえ基本給が雀の涙程度しか上がらないわけだから、ただ帳尻を合わせているだけのように思わないでもない。
今年は平年に比べて業績の悪化が明らかではあるけれど、冬の賞与は春の時点で確定しているため変わらず支給されているはずだ。しかし、来年はどうなるのだろう。もはや知る術はないし、社員が経費削減の憂き目に遭ったとしても私には関係のない話なのだけれど。
賃金については、経済状況を加味して考えないと正しい認識を損なうことになる。けれども、それにしたって企業規模に比べて悲しいほどに社員が安く使われているという状況は確かな事実なので、貴重な若手を失わないためにも会社は体制の改革を行うべきなのだ。資金に余裕があるというのは、ちゃんと数字が示しているのだから。

現状でも人によっては、ちゃんと見返りがあると感じられているのだろうし、金や時間以上に、たとえば人間関係のようなかけがえのない大切なものを見つけられた人は、それほど深刻に悩んでもいないのかもしれない。
私は、見つけることができなかったけれど。
労働は自分が納得できるかどうかがすべてなのだと思う。