K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

嫌儲の精神

「同人ゴロ」という言葉がある。
先日もウマ娘関連でちょっと話題になったところだけれど、簡単に言えば人気コンテンツに乗っかって二次創作をすることで金を稼ぐ連中を指すことが多い。
まぁ二次創作全般について著作権的な問題は常に存在しているのだけれど、ほとんどの場合は黙認という形で見逃されていて、実際に訴えられたという事例はそれほど耳にすることはない。
公式のコンテンツ展開に悪影響を及ぼす可能性が低いとか、わざわざ訴えていたらキリがないとか、あるいはコンテンツを盛り上げる働きのほうが大きいとか、事情は様々だろうけれど、その大半は表立って咎められることはないように思う。

 

そんな中でも、とりわけ嫌われているように見えるのが同人ゴロだ。
流行に乗って稼ぐだげ稼ぎ、トレンドが移ればそれに合わせて描くものを変える。見方によっては作品に対する愛がなく、金のことしか考えていないように映るのかもしれない。
個人的には、別に描きたいものを描くのは自由だし、それでいくら儲けていようと赤の他人の事情なので気にならないのだけれど、どうにも世の中には「他人が儲ける」という事実に猛烈に苛立ちを覚える人間が少なからずいるらしい。
これは同人界隈に限らず、たとえば投資だとかギャンブルだとか、一般的な労働によるものではない収入について広く当てはまることだろう。
汗水垂らして働くことへの美意識が、心の奥深くに根付いている人があまりにも多い。


こんなに苦労して、これっぽっちしかお金が貰えないのに、楽して金を稼ぐなんてけしからん。許せない。
……こういう人って、インターネットをやっていたら、たまに目にすることがあるのだけれど、とても生きるのが大変そうでかわいそうに思える。
いやいや、だったらお前も同じことをすればいいだろうに。
きっと、できないのだ。頭が固いのか頭が悪いのか知らないが、これまで正しいと思い込んでやってきた仕事から、まったく別のところに意識を切り替えることができない。
そうやって生まれるのは、自分ができない方法で人生を豊かにしている人間に対する、どうしようもない劣等感の塊だ。そして、稼ぐのは悪いことだというレッテルを貼って発散することでしか、アイデンティティを保てなくなる。なんと憐れなことだろう。

そもそも自分とは無関係の他人がどんな形で幸せを享受しようが、自らにはまったく影響がないではないか。
他人の不幸で飯が美味い、なんていうくだらないネットスラングも昔から気に入らないが、どうして他人の幸不幸によって自身の調子を上下させなければならないのか。本当に意味がわからない。
そのエネルギーはどう考えても無駄だと思うのだけれど、逆に言えばそうした客観的な視野を持てないような人が、いつまでも嫌儲精神にとらわれ続けるのかもしれない。

まぁこれはこれで、他人の営みに口を出すことに大きな意味はないし、生き方や時間の使い方は自由なので好きにすればいいという話ではあるのだけれど、私が思うに嫌儲の精神というのは個人の趣味に留まらない社会問題であるような気がしている。
彼らは自分が成功者となれない不満から、他の誰かが稼ぐことや幸福になることに対して過剰なまでに否定的な反応を示す。
この苦しみは全員が味わうべきなのに、運のいいやつだけが豊かになるなんて不公平だ。あいつらは糾弾しなければならない。
……やや極端なイメージだけれど、大まかな傾向としてはこんなところではないだろうか。
要するに、出る杭は打たなければならない、みたいな考え方で、こうした邪悪な精神が肥大化することによって、新しく発展しようとする勢力を阻害するムーブが生まれるのだと思うのだ。
これは長い目で見ると社会全体の成長を遅らせるし、まさに日本社会が迎えている現実にも、その一端が表れているような気がする。

最近では特にTwitterを中心に問題が顕在化することが多いけれど、あれはバカでも発言力を手に入れてしまえる非常に優れたツールなので、場合によってはマイナス思考の過大なアピールを可能にさせてしまうわけだ。
彼らは自ら稼ぐ能力のない無能というだけでなく、誰も幸せにしないどころか全体の質を下げる癌でしかない。
こうした風潮が日本的な体質なのかどうかは具体的なデータを持っているわけではないので、ただ印象で書いているだけなのだけれど……なんというか、もう少し個々の成功を堂々と言えるような空気が一般化してくれたら、将来に絶望するしかない社会においても多少は生きやすさが出てくるのではないかと思うのだが。