K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20240422)

先日の某一件が一段落した……というか終わったようで、今週末にもまた外出する用事が出来た。平均寿命を超える高齢であったから、親族の大まかな心境としては暗い雰囲気よりも明るく送りだしてやろうといった感じだろうけれど、直接の血の繋がりのない者や孫世代ならともかく、息子娘ら実子ともなると、また違う心持ちなのだろうか。いずれ、何十年後か知らないけれど、私が先に死なない限りは絶対に経験することになる世の理なので、その姿は目に焼き付けておきたい。
私も、なんだかんだ負担が大きかったとは言いつつも、まぁ生前の顔を見ることができてよかったと思う。もう本人の意識は失われていたから、最後に言葉を交わしたのは約一年前になってしまったわけだが、それでも死ぬ前に会えたという事実により、後腐れなく今後を過ごすことができるだろう。「死」なんて世の中にありふれていて、それ自体に大きな意味合いはないかもしれないけれど、赤の他人ではない近しい存在の死に触れることは人生における一大イベントであり、それも一度きりではない、これから何度も直面するであろう通過儀礼でもあるため、いつでも受け入れられるよう慣れておくというか、そのような心の形を作っておいて損はない。
物心がついてから、身近な人間が世界から消える現象に向き合うのは、おそらくこれで三度目だと思う。記憶にない幼少期にも何度か葬式に出たこともあったらしいが……正直まだ経験が少なすぎて、マナーだのなんだの一連の流れを把握していない。専用の礼服や装飾品の類も所有していないので一式を親から借りるしかないわけだが、ここから数年のうちに何度も経験することになるのなら、自前のものを持っておくべきなのかもしれない。早い人だと、小学生や中学生のうちに一通りの流れを済ませてしまうのだろうから、たとえば成人以降は当分、機会がないということもあるだろう。寿命なんて個人差が大きく、また家系によっても大きく変わる。比較的、私の親族は長生きの傾向にあるため、どうしても死者と対面するのは歳を重ねてからになりやすい。
世間ではゴールデンウィークが始まる週末、もともと私には予定なんてなかったけれど、こういう形で空白が埋められるというのは、なんだか複雑な気分だ。