K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

Facebookアカウント停止

少し前、Oculus製品を使う際にFacebookアカウントによる認証を行わなければならない、けれどなぜか次々と日本人のアカウントがbanされている……というニュースがあったと思う。
その時は、やっぱFacebookってクソだわ程度にしか考えていなかったし、まぁ今回の件と直接的な関係はないのだが……起こった出来事としては、私が運用していたFacebookアカウントが唐突に停止された。

 

友人の少ない私にも過去の様々な場所で出会った人はそれなりにいるし、同じ時間と空間を共有した仲間という意味で、知っている人の名前の数なら普通の人並みであるという自覚はある。
そして学校という舞台で華やかな生活を送ることは一切なく、ただ黙々と通学を繰り返した私にとって、特に親しくなかった有象無象の大勢というのは、深く感情的になることなく観察できる対象でもあった。
私は暇潰しに、かつてのクラスメイトたちが今どうなっていて何をやっているのか、Facebookを通じて調べるという趣味を持っていた。

Facebookというのは非常に閉鎖的なコミュニティで、人間の情報に触れようと思ったら自分もアカウントを作成するように促される。
基本的には実名かつ実写で本人だとわかるようにしなければならないのだが、これが日本人との相性最悪で、おそらく流行が過ぎ去った2016年前後から極端にアクティブ人口や更新頻度が落ち込んでいるのではないかと思われる。
私は日常的に使用しているわけではないけれど、ある時からほとんどFacebook絡みの話を聞かなくなったし、この印象はそれほど間違っていないのではないだろうか。
こぞって他のSNSに移動し、たとえばTwitterの混沌化が始まったのもちょうどその頃だったような気がしないでもない。

私は昔の知り合いを探るために、適当な偽名を使ってアカウントを作成した。もちろんアイコンは初期のままだ。
この時点で規約違反ということになっているのかもしれないけれど、もう何年もの間、問題なく使えていたから真面目に登録しようなんて意識は皆無だった。
一応、実名のアカウントも作成したことはあったものの、作っただけで放置している。使えるわけがない。だって「友達」が戦闘力として扱われる空間のためにわざわざ時間を割くメリットがないのだから。
それにしても「友達」を増やしすぎた日本人が「他人の目」に縛られて、いい加減な発言ができずどんどん廃れていったというのは、ちょっと皮肉が効いていて面白いかもしれない。

 

さて、昨日の晩になかなか寝付けなかった私は、一年ぶりくらいだろうか、Facebookにログインした。
適当に、特徴的だった昔のクラスメイトの名前を入れて検索する。
廃れたとは言っても、いわゆるスクールカーストの上位に存在していた陽キャ連中はいまだに更新している人が少なくなく、そして友達も多いため、ネトストの経由地として利用するにはうってつけだ。
もちろんスクールカースト底辺にいた人間のアカウントは見つからないし、私はスクールカーストのほとんど外側でマイペースに生きていたので、卒業と同時にあらゆるコミュニティとの繋がりが絶たれて「もう会うことはないであろう人間」が大量に増加した。
そんな私が、学生時代を満喫していた彼らの生き様を覗くのは、非常に滑稽なことかもしれない。別にいいのだ。ただの暇潰しなのだから。

一時間ほど見て、まぁこんなものかなと思っていた時のことだった。
思っていた通り多くの人は更新しなくなっていて、好奇心を満たしてくれる情報は数年前と比べて手に入りづらい。そろそろ眠くなってきたし、こんな生産性の欠片もない活動はやめよう。
これで最後だと思いながら名前をタップした瞬間、次の画面が表示された。

Facebook

「友達」が0人で、プロフィールは空白、投稿はしない。そんな「捨て垢」が複数人のページにアクセスしている奇特な行動が、Facebookご自慢のAIのチェックに引っかかったのだろうか。
まさかこの程度のことでbanされるなんて思わなかったが、どうやら息をするようにbanされる現象はFacebookにはよくあることらしい。
更新をやめていた人のうち何人かは、知らず知らずのうちにアカウント停止措置を食らっている可能性もあるのかもしれない。

こんなどうしようもないサービスが世界的にトップクラスの規模で普及しているというのが不思議でならないのだが、こう考えるのは私が日本人だからなのだろうか。
今後もまた「捨て垢」を作って暇潰しをすることはあるだろう。しかし、一生まともな使い方をすることはないと思う。