K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

約束は守られない

私でなければとっくにキレているか、縁を切っているか、わからないけれど、とにかくそういう事態になっていることは間違いない。
初めは、来週中には、という話だった。それが一か月後になり、待ちかねて尋ねてみたらさらに翌月になり、そして今は難しいと引き延ばされる。何度も同じやり取りを繰り返して、今度こそはと思ったけれど、やはり約束の日は訪れない。
このまま連絡を試みなければ、一生放置されるのではないか。そんな予感さえある。

 

思い返してみれば、あの人との約束が厳格に守られたことなんて、これまで一度もなかった。
待ち合わせをすれば高確率で遅刻されるし、旅行を計画していたら数日前にドタキャンされたこともあった。
はたしてビジネスの世界においてどういう意識で生きているのかは知らないが、少なくともあの人にとって、友人というものに対する心の在り方は、些か歪な形をしている。

いつも迷惑を被るのは私や、同じ約束の参加メンバーであり、ある時期を境に「約束事」に関するあの人への信用は地に堕ちていた。
どうせ約束を守らないから期待しても仕方ない。待ち合わせから数時間程度の遅れは織り込んでおいて、当日にやってきたらラッキーという程度に考える。自然に、そういう付き合い方が求められるようになっていた。
だから、私は今回の件においても確度の高い大きな期待は寄せていなかった。社会というものを経験して、少しは真っ当になったのではないかと思わないでもなかったけれど、人間の本質なんて簡単に変化するものではないのだ。

いつも私は、こう言う。
予定が変わるなら事前に連絡してほしい、と。
そして相手は、こう返す。
わかった、と。

まるで、わかっていない。
「この日」とか「この週」とか、あちらが指定しているにもかかわらず、その約束のタイミングになっても一向に連絡してくる気配はない。
しばらく待ってみても何も変わらないから、状況はどうなっているのかと尋ねる私。そして息をするように「すまん」が並ぶ。

予定が変わるなら先に連絡をくれるとは、いったいなんだったのか。すっかり忘れているではないか。私が聞かなければ、その後どうしていたのか知らないけれど、このまま約束なんてなかったことになっても、おかしくはない。
一般的で常識的な間柄を求める人間であれば、早々に関係を打ち切っても不思議はない仕打ちに、私も多少の憤りを感じないでもない。
けれど私は一般的ではないし、あの人との間に普通の関係性なんてものを見出そうとも思わないから、うっかりそれを許してしまう。
甘すぎるだろうか。でも、怒ったところで何か進展があるわけではないのだし、どうしていいのかわからない。
ずるずる、ずるずると、当初の想定とはかけ離れたところで、心の整理がつけられないまま、いつになるか不透明な約束の結実を心待ちにして、期限を伸ばしていく日々を延々と続けていく。

ここでまた尋ねてみても、同じ結末を迎えるのは目に見えている。だから私は、別の道に賭けてみようと思う。
特に何もアクションを起こさない。約束は破られたまま放っておいて、あの人が自らの意思で考えを改めて、再び私のほうへ身体を向けてくれるまで、私はもう接触を諦めることにする。
およそ半年前のことになるが、予想もしないところから話を持ちかけられて嬉しかったから、私なりに動こうとした。でも、いくら待っても応えてくれない。そんなわけで、これは仕方ないことなのだ。
初めから、何もなかった。そう思うことにして、私は私の取り組むべき課題だけに集中し、邁進することにする。

 

ふと思う。進展の生まれない案件に対して、妙に意識を割いてしまうがゆえに、無意識の領域で日常が侵されていたのかもしれない。
言い訳にするには誂え向きで、けれど話が進まないから徐々に精神からエネルギーやモチベーションが奪われていく。
実際に動き出していれば、凄まじい相乗効果があったに違いないと今でも信じているけれど、動かないのだから心に毒でしかなかった。

あらためて考えてみると、この件は過去数か月における悩みの根本的な原因の一つではないかと思われるので、ここは思い切って忘れてしまうことにする。
完全に忘却するのは難しいが、少なくとも相手から何かしらのメッセージがない限りは、余計なことを考えなくて済むように。
裏切られたという事実自体を、なかったことにできるように。
きっと私の生存戦略は、その道しか残されていない。