K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

コミュニケーション耐性

人と会わないことが通常になると、いざ再会の予定が出来る可能性が生じた時に独特の緊張感を覚える。
別に嫌いな相手というわけではないのだから、普通に考えたら喜ばしく思いことのはずなのに、どうしても私はネガティブな感情が前面に出てきてしまうようだ。
誤魔化しても仕方ないから素直に自覚するつもりだが、明らかにここ数年でコミュニケーション耐性が落ちている。

 

感覚的な話になるが、いわゆるコミュニケーション能力というのは、実のところ大して下がっていないような気がするのだ。
というのも、いざ他者が目の前に現れたとしたら、対応方法が以前の私と大きく変わることはないと思うからだ。もちろん、ブランクの分だけ口が上手く回らないとか言葉に詰まるとか、物理的な障害を感じることはあるだろうけれど、スムーズではないにしろ、数年前の私にできていたことが一切できなくなっているということは、まず考えにくい。
しかしながら、その前段階になると状況は変わってくる。上手い表現が見つからないけれど、他者とのコミュニケーションが発生する、という非日常の事態に対する精神的な負荷に関しては、それが比較的非日常ではなかった時分よりも大きなものとなっているであろう、という予測だ。
いきなりコミュニケーションを強いられる状況に立たされたら、それなりに振る舞うことはできるだろう。けれど、反動は想定以上の凄まじさを記録するはずだ。あるいは、数時間後には会わなければならないと考えるだけで、全身が震え上がるようなプレッシャーを感じるに違いない。
本番は大丈夫でも、その前後に私を襲ってくる嫌な経験の度合いが、軽く想像するだけでも極大になっていることが容易に理解できるのだ。

半年以上も連絡のなかった、とある友人から誘いのLINEが来た。中学時代からの付き合いなので、妙な配慮というか余計な気遣いというか、対面するにあたってほとんど気負う必要のない相手ではあるのだが、流石に近年は会う頻度が減ってきたので、突然の連絡には身構えてしまうところがある。
基本的には一対一の付き合いを続けていて、この関係の中に介入してる存在がいないという点も、ストレスが少なく済んでいる要因ではあるだろう。私は人数が増えるほど口数が反比例する典型的なアレなので、個人間のやり取りだけで完結するのは何事においてもありがたい。
せっかくの誘いだし、断る理由はないから受諾しようとは思っている。ただ、上に書いたように、コミュニケーション耐性が果てしなく下がっている状態なので、もしこのまま予定が確定したとしたら、その日の前後に私の身に何が起こるのかが気がかりなのだ。
前日はまともに眠れないかもしれないし、帰宅後は動けなくなってしまうかもしれない。

 

ふと、LINEを眺めていると、他の通知に気がついた。あまりLINEを立ち上げないので、気づかずに数日から数週間が経過しているということが、少なからず発生する。
まぁ厳密には、通知自体は知っていたのだけれど読まずにスルーしていたものが、視界に入って思い出されたと言うべきだろう。

大学時代に関係の深かった「元」友人たちのグループなのだが、これは久々に会って飲もうという企画の話だった。
正直、気が重かった。会うのが嫌というわけではないのだけれど、現状の私にとって同時に複数人が集まる場に参加するのは、ややハードルが高すぎる。
何も喋れず浮いてしまう姿が目に浮かぶし、変に気を遣われるとそれだけで恥ずかしさのあまり家に帰りたくなってしまうだろうから、想定できる楽しさと後悔を天秤にかけると、あながち行かないほうが幸せなのではないかと思ってしまうのだ。
そんなわけでグループの通知は見なかったことにして放置していたのだけれど、なんと数日前に飲みの件はめでたく終了していたらしい。個別に連絡を取り合っていたのか、別にグループを立てたのかは知らない。ただ、どういう流れで参加者や日時や場所などの詳細が決まったのか、私の目線からでは一切の掴みどころがなかった。

なんとなく、感じてしまった。
また、そのうち会うだろう、いつでも会えるだろうと思っていたが、そんなのは幻想だったのかもしれない。
ひょっとしたら、もう一生あの連中には会うことなんてないのかもしれない。
数少ない私の「人脈」は、いつの間にか解かれていたのだろうか。