K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

いつの間にか始まって終わった

興味がないという話は毎度のことではあるのだが、今回は特に関心が持てずに開催期間を過ごしてしまったように思う。
実家にいた時は、自ら見ようとすることはなくとも、日常的に夕方以降はテレビがついていたものだから、なんとなく視界には入ってしまったし、居間にいる限りは他に集中すべきところもないので、興味はないけれどそれなりに映像は見ているという状態が多かった。
今の生活ではテレビを起動させるのは競馬観戦の時くらいで、それ以外の用事でテレビの前に向かうことはない。だから必然的に触れる機会は制限され、情報収集もしないため知らないうちに事が進んでいくということになった。

 

Twitterでは開催前から文句が非常に多かったと思うが、なんだかんだで始まれば盛り上がるものだ。
それが日本人の良いところなのか悪いところなのか、その性質にあまり当てはまらない私にとっては不思議な現象ではあるのだけれど、まぁしかしスポーツを通じて喜びがもたらされるのであれば、健全で素敵なことだと考えてもいいような気はする。

すっかり更新を停止した、昔の知人と繋がりのあるアカウントを開いて、流れるTLに視線を落としてみると、現在どの競技が行われているのかがわかる。
以前ほどではないにせよ、試合の実況をしているアカウントはいくつもあって、純粋に世の中の出来事に一喜一憂し、喜怒哀楽を発露できることに羨ましさすら感じてしまう。
こういうご時世だから逆張りというほどではないかもしれないけれど、国民的行事に対してまるで見る気の起きない私という人間は、きっと彼らとは相容れないのではないか……かつて親しくした仲間の前向きに元気な姿を見ていると、もはや生きている世界が違ってきているとすら思えて、仮に再会する機会に恵まれたとしても真っ当にコミュニケーションが取れる気がしない。
Twitterを眺めていて感じたのは、世の中の出来事に対する、私と彼らとの間にある距離感の違いだ。

 

終わってからは、Twitterハッシュタグを使って肯定派と否定派が戦争をしているようではあるが、ここからの日本がどれくらいの勢いで堕ちていくのかは見物ではある。
始まる前から不祥事と利権絡みの問題だらけで、日本の悪いところが次々と噴出していく様は半ばギャグのようで個人的には面白かったけれど、そこに人生をかけていた人も少なからず存在しているわけで、笑い事ではない。
こうした国家を凋落へと誘う体質は、きっと簡単に変わるものではないのだろうし、脱却するとしても次の姿を模索するまでには時間を要するため、今後数十年は厳しい情勢が待っているのではないか。
おそらく平均的な人間よりも世情に無関心な私でさえ、このように感じているのだから、今回の開催を経て溜まった、いわゆる国民のフラストレーションというやつは、爆発寸前なのかもしれない。
平穏を望むのであれば、それがただの幻想であることを願いたいけれど……一方で、真に変革を求めるなら、何もかもを爆発させて腐った基盤を壊してしまったほうが、長い目で見ると最善手なのかもしれない。
……などと思うが、きっと高い確率で変わらないままだから、もう朽ちていくだけのような気がしてならない。

まぁ未来の話は置いておいて、とりあえず私のような人間が大会に関心を持つためには、根本的な体制から変える必要があると思っている。
この時代に各種配信サイトで見られず、オワコンのテレビを要求される時点で論外だし、特定のテレビ局が権利を独占するような状況は早々に改善していかないと駄目だろう。