K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

ウィンタースポーツ

秋になったばかりだというのに冬をテーマにするのもおかしな話だが、思いついたタイミングで書かないと忘れてしまうから季節感など気にしないことにする。
ウィンタースポーツ……というか、主にスキーやスノーボードといった冬の娯楽について、普通の人がどれくらいの程度で馴染みがあるのか、ふと気になったのだ。

 

私はスキーをしに雪国へと遊びに行った経験がほとんどなく、小学校に入る前の幼少期に二度、家族でスキー旅行をしたことだけ覚えている。
大学時代のサークル合宿で一度、卒業後に友人との少人数で一度、人生では計四回ということになる。
中学では、全員参加の学年旅行は夏が定番であったし、確か有志でスキー旅行の企画もあったと思うが、消極的な私は参加する気にならず……高校ではそもそも修学旅行を含め、遊びに遠征する企画自体がなかった。

家族旅行のスキーはあまりにも昔のことで参考にならないため、今回は大学時代の経験から書きたいのだが、何を思ったかと言えばシンプルに、意外と滑れる人が多かったということだ。
スキーができるかどうかは、生まれ育った地域や家庭における慣習で大きく個人差が出るとは思うけれど、そこそこ裕福な家庭でアクティブな両親に育てられた場合は、スキー経験が豊富な確率が高いように思う。
私は裕福という点は満たしていたし、夏には毎年のように旅行をしていたけれど、冬は家に引きこもりがちだったからスキーを習得する機会に恵まれなかったのだ。
大学で同世代とスキーをした時に心に抱いたのは、今から振り返ると、私だけ上手く滑れないという、ちょっとした劣等感だった気がしている。

運動神経は悪くないほうなので、一日コケまくって身体を痛め続ければ、それなりに形にはなる。
二日目は全身筋肉痛を余儀なくされるものの、痛みを無視すれば前日とは比較にならないほどスムーズな滑り出しが可能で、そこそこ楽しい時間を過ごすことができた。
もちろん、急斜面の上級者コースは無理な話で、勇気を出して挑んでみたら降りるまでに数十分を要する苦行と化したから、滑るコツには数段階のレベルがあって、ゼロからでは到底、経験者には太刀打ちできないことを思い知らされる。

スキーの技術というのは、自転車に乗れるかどうか、みたいなことだと考えている。未経験だと、手足の自由が奪われたような感覚に陥って、思い通りに進むことができない。
けれど、練習を重ねて一定のレベル到達すれば、苦労していたのが嘘のように軽快な動作が可能となる。
スキーに関しては、その後まったく行く機会がなく経験値が失われているだろうから、私は微妙にその領域に及ばなかったと思っている。
ちなみに、自転車にも15年以上まともに乗っていないから、もしかしたら正常に操作できなくなっているかもしれないけれど……まぁそれはまた別の話ということで。

 

たまたま私の家庭が冬の活動に興味がなかっただけで、一般的にはスキーを経験していることが当たり前なのだろうか。
以前に、妹が学校行事でスキーに行った際、周りの皆は普通に滑れていた、というようなことを言っていた覚えがある。
人生、どこかしらで経験することはあるにせよ、初体験の場で大きく遅れを取ることになると、せっかくの楽しい時間が半分くらい苦痛になってしまうので、その点に限っては運が悪かったと、恵まれた家庭環境であったにもかかわらず、つい思ってしまう。

社会人になったら、なかなか冬にガッツリ休みを取ることもできないだろうから、家族や友人とのイベントがなければ、スキー旅行の機会なんて滅多に発生しないのだろう。
今後、私の人生においてスキーをすることなんて、あるのだろうか。
別になくても構わないし、怪我をするリスクも無視できないから行かないほうがいいのかもしれないけれど、多くの人が当たり前のように楽しんでいる娯楽が私の人生から一つ抜け落ちているという事実には、なんとなく悔しさみたいな面倒くさい感情が湧いてしまうから困ったものだ。
今から、まともに滑れるようになろうと努力する気にもならないし、コストを考えたら現実的ではないため、これはただの刹那的な願望でしかないわけだが。