K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

雪の日

東京育ちで現在も東京在住のため、雪国の人間と比べたら雪に触れてきた機会は圧倒的に少ない。
毎年、スキー旅行をするような家庭ではなかったし、雪を見るのは年に数回、今日のように冷え込んで降雪があった日だけだ。
そういうわけなので、私は雪の特徴は大して知らないし、雪の楽しみ方や雪の恐ろしさもわからない。幼い頃は落ちてくる白い物体に気分が上がることもあったかもしれないが、今となっては雪なんて交通機関を麻痺させるだけの、障害物でしかない。

 

昔話をしたい。
なぜかというと、ここ数年は雨の日も雪の日も基本的に在宅であって、天候に行動が左右されることが滅多にないからだ。
雪にまつわる個人的なエピソードなんて、随分と前まで記憶を遡らなければ具体的なイメージが出てこない。

最も「雪にやられた」という出来事は、大学受験の直前に起こった。
予備校に通っていた私のスケジュールは、年末年始もほとんど休みなく講座が詰め込まれていて、まさに直前の追い込みという時期だった。
これまでの人生で最長と言ってもいいくらい、長期的に集中力を維持できていた頃だ。体力があって、まだ若かった。

あれはセンター試験前の直前講習だったように思う。正直なところ、私は記述式の試験のほうが得意だったため、センター試験など大量受験の場合に採用されるマーク式は好きではなかった。
記述や論述なら多少の誤りでも部分点が取れるのに、マークは些細なミスや勘違いで大問ごと落とす可能性がある。クソ長い試験時間のわりに、科目によって問題の密度がまったく異なるし、無限に見直しができることもあれば最初から最後まで気が抜けない試験もある。
あれは本当に悪い文化だと思う。それはもう、日本人の均質化が進むわけだ。創造性に乏しい「社畜」の生産システムとしては、そこそこに優れているのかもしれないが。

そんなわけで、私は大学の個別試験よりも、センター試験対策が手薄だった。
いくら教師が有能だとしても、そういう特別講座を直前に一度だけ受けて、見違えるほど点数が改善するわけではない。得点期待値は長い勉強の積み重ねと、だいたいはセンス次第なのだから。
それは一日限りの授業だった。薄い冊子に記載された過去問を事前に解いていって、数時間のうちに細かく解説を受ける。繰り返し復習することで、間違えやすい箇所への耐久力を上げていくというものだ。

朝、起きると雪が降っている。予備校のホームページを確認したが、特に情報の更新はなかった。なんだ、やるのか。積雪数センチとはいえ、歩けないほどではない外の環境だったから、渋々ではあるが予備校に行くことにした。電車も多少の遅延はあった気がするけれど、動いていたから授業の存在を疑えなかったのだ。
慣れていない人間が雪の積もった道を歩くと、予想以上に体力を持っていかれる。満身創痍になりながら、ようやく到着した予備校のエントランスは、しかし開いていなかった。
思わず驚きの声が漏れたような気がする。こんな目に遭って、報いは受けられないのか。携帯で予備校のページを見てみると、全講習の休講の情報が記載されていた。

ひどく落ち込みながら帰りの電車に乗って、帰宅する。なんのための外出だったのだろう。出不精にとって、外出した意味が果たされないショックは大きい。外に出ることが、より億劫になる。
災難だったのは、気に入っていた傘が使い物にならなくなったことだった。木の下を通った時に、運悪く積もっていた雪が私の頭上に落ちてきたのだ。手に持っていた傘は耐えきれず骨折してしまう。そこまで強く降っていたわけではないから、濡れる心配はなかったけれど、後日になって心に残っていたマイナスの感情は、講座がなくなったことよりも傘が壊れたことのほうが大きかったような気さえする。

 

雪にはいいイメージがない。
まだ保育園に通っていた幼少期、親に手を引かれて歩いていた時のことだった。
おそらく浮かれていたのだろう。足を滑らせて、転倒しかける。次の瞬間、私は親に抱きかかえられていた。親が身を挺して守ってくれたのだ。
代わりに、親は両膝をアスファルトに打ちつけてしまった。しばらく、青アザが目立っていたのを今でも覚えている。

他にも記憶を探れば、雪から受けた不幸はいくつか出てくることだろう。
こんな日に外に出たら、低くない確率で事故に遭う。
本当は今日のうちに自宅へ帰るつもりだったが、あと一日だけ、実家の世話になることにする。