K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

凍える夜

外に出る頻度が週に一回くらいの生活が続いているせいか、季節の移り変わりで短期間に大きく気温の変動が起こると、前回外出時との温度差にひどく驚く。
昨日は定期的な歯科治療のため外気に触れることになったのだけれど、いつの間にかすっかり真冬の空気が出来上がっていて、目的地に向かう歩みに気持ちが入らなかった。
当然、夜中から朝方の冷え込みは引きこもっていても体感できることではあるから、しっかり認識していなかっただけで理解はできていたはずなのだが……嫌だと思っていても季節の到来には抗いようがない。本当に過ごしづらい時季になってしまった。

 

これを書いている現在の気温は、もうすぐ氷点下になろうかというくらいの寒さだ。まだ20時台だというのに、これほど冷え込んでいるとは想像していなかった。
流石に電気代云々などと言ってはいられない。生活のクオリティを下げないためには、エアコン稼働は夏同様に必須と考えるしかないだろう。
ただ、快適に過ごせる気温と外気との差が夏よりも大きい関係で、冬はどうしても電力消費量が上がる。一方で、睡眠中は暖房を切っていても死ぬことはないから、ほとんど動かしっぱなしの夏と比べて、睡眠時間分だけは節約できるという側面もある。
経験上、最も活発に動ける秋でさえ、今年は起床時の布団に敗北することが多かったのだ。目覚めようとした瞬間に冷えきった空気を肌に感じると、ついつい身体を起き上がらせるエネルギーが萎えてしまう。二度寝をするかは日によるけれど、覚醒から行動までの間に30分以上のラグが生じることは、別に珍しくない。

私が食に関心のない人間で助かった。味を気にしないのであれば、というより飽きを気にしないのであれば、あと一週間は食べる物に困らないのだから。
もしも毎日、毎食、口に入れる物質に変化を加えたいという思想があるとしたら、とても出不精でいることは叶わないだろう。
なるべく食事に余計な金をかけたくないという意識も相まって、食事内容は基本的にコスパの良いものばかりであり、いつも変わらない。タイミングによって朝食向きか昼食向きか夕食向きか、多少の種類は存在しているものの、どの食事であっても一週間のうちに一度しか食べないなんてことは、滅多にないと言っていい。
こんなに寒いのだから、食事にこだわっている場合ではないのだ。誰か他人と食事に行くというのであれば話は変わってくるが、そんな事象は私にとって例外でしかない。冬の孤独な生活における最大の焦点は、どれだけ外に出る回数を減らせるか、ということに尽きる。

 

そういえば、来週末はクリスマスらしい。
幼い頃は毎年の楽しみだった記憶があるけれど、近年では特別な意味をまったく感じない、ただの冬の一日でしかなくなってしまった悲しき日だ。
ソーシャルゲームのイベントや、ネット上の広告、Twitter上の話題などから、私のような人間でも事前に察知することが可能となってはいるものの、知ったからといって何かが変わるわけではない。
わざわざチキンやケーキを買って食べることもしないし、誰に会うわけでもなく相変わらずコミュニケーション皆無なまま、普段の日常から逸脱しない時を過ごすだけなのだ。
少なくとも、昨年はそうだった。

そんな私の事情を知ってか知らずか、先日、帰ってこないかという誘いが実家から入った。
まぁ形式的には「お願い」という感じで、もっともらしい理由が添えられていたけれど、本音は私の状況を心配してのことだろう。
正直に言えば、どちらでもよかった。ただ、いずれにせよ年末には帰る予定なので、近場とはいえ何度も往復するのが面倒という話はある。
どうせ、温かいのだ。家の空気も、食事も、心も。知っている。昨年から今年にかけて、何度も味わってきた至上の温もりが、また待っているに違いない。

例によって予定なんか入っていないのだから、断る理由はない。
実家に帰れば食費も電気代も節約可能だし、妨げるものがあるとすれば寒気と外出を嫌う気持ちだけだろう。
ああ、それにしても、寒い。