K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

恋愛感情

Twitterを適当に見ていたら目に入ったトピックなのだが、「恋愛感情がわからない」という人が、その経験や想いを漫画にしたものだった。
世間一般では「普通のこと」と考えられている、恋愛行為や結婚といった人生のイベントが、どうにも受け入れられない。自分には合わないらしい。
そういった趣旨は私にも非常によく当てはまることで、珍しく強い共感を覚えた。

 

確か、恋愛感情については過去にも似たような日記を書いたような記憶があるのだけれど、あらためて整理してみよう。
私は、これまでの人生で恋愛というものと無縁だし、よほど衝撃的な転換点が訪れない限りは、これからもそれを求めることはないと思っている。

最も異性との距離が近かった時代を思い出してみる。
それは小学校の高学年のことだった。
まだ第二次性徴を迎えていない人間がほとんどで、男女の区別なんて日常的な意識の上では基本的に存在しなかった頃。私は性別に関係なく、誰とでも仲良く遊んでいたし、だから特定の異性だけに「好き」という感情を抱くことなんて、今から思えばなかったような気がする。
気がする……というのは、実際にはバレンタインの時期などに多少の感情が動く出来事が存在していたためであり、普段の友人関係とは軸が異なる人間関係が皆無だったわけではなかったことも、一つの事実として捉えなければならない。

しかしながら、私は当時の関係を恋愛感情から発生したものだとは考えていない。あれは、思春期に突入する前の複雑な心理が絶妙に絡んだ結果、世の中が肯定する「普通」というものの片鱗を覚えさせられていたに過ぎないのだ。
今では、面倒くさいとか、感性が合わないとか、本心から求めているわけではないと判断して事前に回避してしまう「当たり前」について、ただの好奇心から一時的に気持ちが傾いていただけだった。
そこに飛び込んでいったらどうなるのか知らなかったし、知らなかったからこそ無駄に積極的になれた部分もあると思う。

中学以降の私は、人が変わったように内向的になった。
異性との関係はおろか、同性との友人付き合いも数を絞って、広く浅くよりも狭く深くという形を好むようになった上に、受け身であることが常だった私は学校卒業と同時に親しいと思っていた友人を失うことになる。
当時は今と違ってLINEなんてなかったし、SNSも発達していなかったからインターネットを介した繋がりは交換したメールアドレスくらいのもので、それもスマホの故障によって失われてしまったから完全に縁が立たれている。
ここで強調したいのは、私は一人になっても別に問題を感じなかったという点だ。他者とのコミュニケーションや、その温もりを好んで欲するということはない。そうやって自分だけの空間を重視するスタンスが、今の特異な性格にも多大な影響を及ぼしているように感じる。

高校までは、まだ恋愛というものは「当然やっている」ことではなかったように思う。
クラスの中で恋人がいる人間は……もちろん親しい人間が少ない私が得られる情報は観察以外にはないから、思い込みでしかないかもしれないけれど……一部の「陽キャ」に限定されていたという印象だ。
はたしてエロ漫画で描かれるような高校生同士のラブラブ行為が至るところで行われていたのか、それはそれとして大変に興味深いところではあるけれど、少なくとも私が見た範囲では、恋愛というものが学生の標準的な活動の一つであるとは考えられなかった。
私が自分だけの世界に閉じこもっていたから気づかなかっただけかもしれないし、たまたま通っていた学校の風紀が素晴らしく保たれていただけかもしれない。いずれにせよ、小学校を卒業してからの私が、異性を異性として、恋愛対象として意識することはなかった。

驚いたことに、周囲の異性に対する距離感は大学でガラッと変わった。
高校までは近寄ることすらできなかった異性が、同じ空間にいるというだけでなく至近距離に存在している。たとえば合宿の宴会などでは何度かコップを介した間接キスもあったような気がするし、それまで会話の対象でなかった異性という存在と自然に話せる環境は違和感の塊で、適応するまでには苦労することになった。というより、最後まで上手く適応できなかったように思う。
隣に異性がいて、対応次第ではいくらでも可能性を広げることができたはずの状況だったのに、私は「これって大丈夫なのだろうか」と常に警戒しているだけで、恋愛へと繋げていこうなんて感情は一切湧いてくることがなかった。

卒業後に同期と会えば、誰と付き合っているだの、結婚はどうしようだの、恋愛絡みの話題ばかり。
あるいは別れたとか、付き合いたいとか、異性に関わる「普通の感覚」を突きつけられて、私はアルコールによって引き上げられた気分が急速に冷めていくのを、いつも感じることになった。
わけがわからない。恋愛ってなんだ。恋愛感情なんてどこから生まれるんだ。

強いられはしないにせよ、親との会話ではしばしば恋人を作らないのかという話題が出てくる。
好きな人がいない。相手がいない。そう言って適当に応じてしまうけれど、そもそも恋愛感情を持っていないのだ。前提から破綻しているということを、いったいどうやって親に伝えようか。今のところ、私にはその術がない。

 

ふと、恋愛感情に近いものはなんだろうと考えた。
恋をしている人の反応を知ろうとする。見えてきたのは、心が締め付けられるような感覚。いわゆる、キュンキュンする感覚というやつだ。

必ずしも一致しているとは思えないが、その「キュンキュン」という現象には、私にも思い当たる経験がある。
すなわち、アニメなどの創作世界を摂取する場合において、特定のキャラクターに対して抱く特別な感情に極めて近似しているのだ。
心に突き刺さるシチュエーションと、魅力的なキャラクターの仕草や表情、台詞の数々に、思わずドキッとさせられる。
ああ、尊い。好き。このキャラクターが大好きだ。
まさしくこれは、二次元ではあるものの、恋愛していると言っても過言ではないのではなかろうか。

二次元キャラクターに恋をする。
一見すると気持ち悪いことを言っているし、現実逃避的というか、実際には何も成し得ない行為に他ならないわけだけれど、実のところ「好き」という感情を喚起するためには最も手軽な方法なのではないかと思う。
現実の異性を相手に欲情しない私でも、二次元キャラクターとの妄想世界でなら何にでもなれる。
基本的に二次元の造形というのは理想形であるため、もし己の趣味嗜好に合致したキャラクターに出会えたとしたら、それは最強の恋愛対象なのだ。三次元の存在がそれを上回る理由はどこにもない。
さらに面白いことに、二次元というのは性別の垣根すら飛び越えてしまう。仮に同性のキャラクターであっても、極端な話、自分の好みに合っていれば大好きになれるのだ。
かっこいいから、かわいいから、まぁなんでもいいけれど、対三次元ではあり得ないレベルで感情が多彩に飛躍する。
特定の誰かに限定する必要もなく、あれも好き、これも好き、という状態を作ることも可能な理想郷。それが二次元の世界にハマるということだ。

なるほど「普通の人」が当たり前のように同じ地に立つ異性に感じている熱い想いというやつが、少しだけ理解できたような気がする。
こんなイベントが日常世界で起こったら、それはもう大変なことだ。「普通の人」は、私が想像している以上に理性を抑えるのに苦労しているのかもしれない。
様々な試練を乗り越えた先に、結婚とか、家庭を築くとか、きっと私が見向きもしない幸せがあるのだろう。

ちなみに、直近で私がキュンキュンしたのはウマ娘エイシンフラッシュちゃんということだけ、最後に書いておきたい。
キャラクターストーリーと育成シナリオどちらもじっくり読んだけれど、どこかギャルゲー味のある展開が多くて、好きにならざるを得なかった。
デザイン的に、肩くらいまでの黒髪のキャラクターが私のツボという話もある。

まぁそういうわけで、今日の最も重要なポイントは、感情の流れを二次元に転換して読み取れば、恋愛という都市伝説への理解も少しは進むかもしれない、という気づきだった。