K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

笑顔になる瞬間

他の生物との関わりが日常的に発生する普通の人間であるならば、一日のうちに笑みが漏れるシーンというのは珍しいものではないだろう。
学校や職場、家庭など、特に険悪な雰囲気に囲まれているわけでもない限り、相互作用の中で愉快な気持ちになれる機会は至るところに転がっている。あるいは、心から楽しいわけではないにしろ、場の空気を壊さないために笑みを浮かべることもある。
理由は様々ではあるが、長い目で見ると人間という生き物は、笑顔を媒介にして生きる元気を作り出しているような気さえする。

 

私の生活は世間の常識から外れた特異なものであるため、言ってしまえば笑顔とは程遠いところにある。起きてから寝るまでの間に、相互に働きかけることが可能な対象との接触を行うことは滅多にないのだ。
半分くらいは慣れによって適応できている部分があるかもしれないが、世の中の多くの人間は対人接触が失われた孤独に耐えることは難しいだろう。
自分一人きりの空間において、自発的に笑みを作り出すのが非常に困難であることは、わざわざ言うまでもない。

笑顔が健康に与える影響は、聞いた話によると大きいらしい。笑うことで、脳が活性化する。病気に強くなるかもしれないし、老化の防止にもなるかもしれない。
逆に言うと、笑うことのない生活を続けていたら早死にする可能性は高まるのだろうし、実際のところ今の私は健康を保てている自信なんてない。
ただ、幸いにもインターネットが発達した時代のおかげで、完全に笑顔と縁が絶たれたというわけではないのも、また事実だ。

アニメなどの創作物を見てゲラゲラと笑うことは難しいものの、たとえばYouTubeやTwitchにおける配信を見ていて、腹や頬が痛くなるほどの笑いが溢れることは稀にある。
動画でもいいけれど、とにかく画面の向こう側にいる人間たちの面白おかしい行動やリアクションに誘発されて、心の奥底に眠っていたはずの感情が一時的に活性化するのだ。
普段、笑うことが少ない分だけ、そうしたツボが浅いのかもしれない。以前なら何も感じなかった気がする光景を目にして、くだらないと思いつつも面白おかしく笑ってしまう。

そして笑った後には大きな心地好さと、若干の虚しさに襲われる。
結局、私は誰かとの直接的な関係性において人生を豊かにすることはできないのだ。いつだって同じ空間には私しか存在しておらず、ちょっと勇気を出して外側の世界に触れる時にも、常に一方的な形でしかいられない。
まだ今は問題を感じていないけれど、はたして数年後……十年くらい経って同じような調子で生きていられるのか、なかなかに疑わしい。

現状を継続しただけでは、明るい未来は見えない。先々の形を時間をかけながらも変えていくために、私のすべきことは日々の再生産ではなく、新しいエッセンスを取り入れた再構築なのだろう。
まだまだ時間はある。体力的な余裕もあるはずだ。なぜか虚弱化してしまって、思うように動けないことが激増してしまったのが誤算ではあるけれど、本来ならモチベーションだけで捲れる程度の不利に過ぎない。

 

余談だが、最近ハマっているのはYouTubeのQuizKnockというチャンネルだ。
雑学の勉強になるし、ちょっとした暇を潰すのに最適な長さなので重宝している。
個性豊かな出演者たちの含蓄に富んだやり取りが面白くて、つい時間を忘れてしまうのだが……一方でふとした瞬間に、あのような関係性に憧れを覚えて複雑な心境に陥ることもある。

私は、今後の人生で何か素晴らしい出会いに恵まれることはあるのだろうか。