K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

こんなことがあるのか

自分でも驚いている。期待しすぎだろう。そう思っていたのに。
相手も驚いたことだろう。とりあえずの可能性として声をかけてみただけだったのに、まさかドンピシャで要望に合致するなんて……と。
前日の日記に書いた通り、運命の歯車は本当に特別な方向に動き出してしまったかもしれない。

 

具体的なことは何も言及できないので、客観的に見たらなんのことやら、と思われるかもしれない。あいにく、今は私自身が客観的な視点を持てていないから、とりあえず核心的な部分を覆い隠したまま書くだけなのだが……膨らむこの感情を上手く吐き出せないのが少しもどかしい。
私はこれまで、私の歩む道はほとんど自ら一人で突き進んでいかなければならないものだと思い込んでいた。人は他者の助けなくして生きていくことは不可能と言われるけれど、普通の人生という当たり前のように存在していたレールを明確な意志によって逸脱したからには、完全ではないにしろそれなりの孤独は必然なのだと。そういう環境に身を置くからこそ、磨かれるものがあるのだと考えていた。
それがまったく間違っているとは言わないけれど、しかし個人の力で広げられる領域には限界があるというのもまた、事実なのだろう。ぼんやりと心中に掲げていた私の理想に対する名状しがたい不安は、おそらく孤独という絶対的に不利な状態に由来する。

それにしても私の挑戦はまだ始まったばかりというか、ようやくこれから始めようとしている段階なので、なんというか結論を出すには経験が足りていないと思うのだけれど、一方で何をしていても時間は過ぎていくし、過ぎてしまった時間に向ける後悔ほど益体のないものはないわけで。
可能ならば今すぐにでも結果を出せたほうがいいに決まっているのだ。
問題は、一人きりの現在の環境では、結果が出るまでに最短でも一年は必要ということだった。

そこへ突如として舞い降りてきたチャンスの塊。何度考えても、やはり利用しない手はない。私は新しい刺激と、自らの前進のより強固な推進力を生み出すための土壌が欲しかった。それに対して向こうは、確度の高い能力を持ちつつシビアな条件に見合う人材が必要だった。
妄想ではなく現実のものとして、これはWin-Winの関係になれるかもしれない。
私は二つ返事に近い形で、相手の提案を受け入れることにした。

こんな奇跡みたいな幸運に恵まれるなんて、今年はいよいよ素晴らしい年になるかもしれない。昨年は散々だったから、多少は望みを抱いてもバチは当たらないだろう。
まだ、いわば企画段階のようなもので、個人レベルにおいて実現している事柄は一切ないけれど、それでも私に話が回ってきたのは事実なのだ。
こんなに都合よく……というか普通に考えたらおかしな話で、もしかしたらこのブログが見られている可能性すら邪推してしまうくらいピッタリだったので正直、妙な気分ではあるが、とりあえず言いたいのはこういうことだ。
私のこれまでの人生には、確かに意味があった。

過去の様々な人間関係に対する基本的な私の姿勢というのは、下手に干渉しないことだった。出会いがあれば別れがあり、一度別れたら縁は途切れるものだと考えてしまう。
相手から誘いがなければ、仲のよかった人間でも二度と遊ぶことはない。会うことはない。
冷たい人間だと思われるだろうか。けれど、誘いをかけるということは相手の時間を奪うことに等しい。自分のことばかり優先的に考えている私にとって、誰か他の人間の行動を制限するということの責任は、とても取れそうにない。
そんな風に無益な思考のループに陥っている限り、私は対人関係において積極性を獲得することが決してできないのだ。

殻を破る第一歩は、内側からではなく外側からだった。
嬉しかった。かつて蒔いた可能性という種が無事に芽を出して、私を救いにやって来てくれたようなファンタジー。過去の私が今という未来に託した救世主。私が私で、本当によかった。

正直なところ、こうやって文章にしていけば頭の中でそれなりの輪郭を伴って整理がつくと思ったのだけれど、いまだにまとまりが悪く、じれったい感覚がある。
だって、想像以上だったのだ。想像以上に、理想的だった。
会う前にいくつかパターンは想定していたし、大まかな方向性は一致していた。自分の読みは正しかった。にもかかわらず、私は圧倒されて一瞬、言葉を失った。なんと言えばいいものか……とりあえずやってみなければわからない。回答の第一声はそんな、ありきたりなものとなってしまった。
それでも問題はなかった。膨大な情報量であるのは相手も承知の上で、ざっくりとした説明とはいえ伝えるのは難しいと。だからこそ価値観の合いやすそうな私が選ばれたと言ってもいいのだけれど、まずは私を内側に取り込んで、より先に進んだ話はそれからだ……簡単に言えばそういう流れだった。

今後、私がどのようになっていくのか、もともと道筋は漠然としていたけれど、もっとわからなくなった。
それでも、考えうる限り最高の「繋ぎ」に成功したのだ。迷走しそうになっていたところに見えた一筋の光、確実に獲りにいくぞ。

 

余談だが、本当にこの日記が読まれているとしたら掌の上で踊らされているようで恥ずかしい限りだけれど、それはそれで私の力やスタイルや志が評価されているということにもなるので、反面嬉しさを感じたりもする。
いや……やはり恥ずかしさのほうが上回りはするが。

最近の内容は、ブログ開始当初に比べてより一層「日記感」が増していて、知人にバレるとプライバシーが侵されているような気分に陥る気がしたので、知人と繋がりのあるTwitterアカウントのプロフィールに記載していたURLは、実は先日こっそり削除した。
もう見つかる心配はないので、今後はちょっとばかり暴走した投稿があるかもしれないが……まぁ自己満足の範疇で好きなように続けていきたいな。たとえ忙しくなるとしても。