K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

赤い日

Twitterを眺めていると、どうやら今日は祝日らしいことがわかる。
もともと、何月にどんな祝日があるのか覚えられない程度には興味のない分野ではあるのだけれど、昨年から「休日」という日常における恩恵を受けることがなくなったせいで、曜日感覚と同様に、ますます認識しづらくなっていることを自覚する。
しかし、考えてみると水曜日の祝日というのは珍しい気がするし、五連勤が当たり前の労働者にとっては一息つける嬉しい一日なのかもしれない。

 

私にとっての文化の日は、悲しくもその半分以上が睡眠に費やされることとなった。
まぁ貴重な休みの日にたくさん眠ってしまうというのは結構ありがちな話だから、たとえば日頃の疲れが溜まっているにもかかわらず、うっかり夜更しをしてしまったという社会人も少なくはないだろう。
わりと例外的な立場にいるはずの私が、珍しい祝日の潰し方という点において、いつもの日常よりも一般的な傾向に染まるというのは、なかなかに情緒を感じる。もちろん、そこに至る過程だったり、時間の使い方に対する評価だったり、結果に向ける想いだったりは真逆と言ってもいいだろうが。

毎日が休みであり休みではない……特に曜日によって行動が大きく変わるわけではない生活をしている者にとって、カレンダーの赤く染まった日に対する感情は、非常に矮小なものであると断言してもいい。
そもそも祝日だったことを知らなくても問題がない上に、知ったところで何も変化はないのだから、意味がないのだ。
祝日への認識が求められることがあるとしたら、カレンダーに従っている外部の人間との関係性が動く場合のみであって、私は今のところ気にする必要性を感じていない。
今日という日の時間は昨日とも、明日とも、まるで違いがないのだ。だから早朝に布団に入り、夕方手前に目覚めたという事実に対する考え方は、月に何度か発生しがちな昼夜逆転生活の入口にまた立ってしまった……という程度のものでしかない。

満足するまで睡眠を続ける。夏頃には無理をして起きようとしていたり、暑さによって起床を余儀なくされることが少なくなかったけれど、冬を感じる最近では邪魔されることなく眠れるようになってきた。
本来なら七時間も寝ていたら残りの時間を活動に充てることができるはずなのに、外的強制力が働かないと十時間は余裕で横になっている。寝すぎという感覚もなく、毎日よく寝たなぁと思いながら身体を起動させるのは心地がいい。
その分、次の就寝までの時間が長くなって、毎日の活動が少しずつ後ろ倒しにズレていっている感は否めないけれど、いずれにせよ今年は過去十年で最も睡眠時間が長いという自信がある。
眠れば眠るほど老化は抑制され、寿命は伸びる。迷信かもしれないが、おそらく同年代の人間よりも顔や肉体は若いほうなのではないかと思っている。

 

世の中の大半の人間にとって、きっと私の行動原理は理解できないだろう。
それなりに親しかったはずの知人でさえ、話を聞けば難色を示す可能性が高い。最近は会って話していないから、互いに何をしているのかわからないという人ばかりだけれど……そろそろ情勢が落ち着いてきたら、近いうちに再会する機会があるかもしれない。

一つだけ、困る点がある。私の今の状況を、いったいなんと説明すればよいのだろう。
まだ具体的な成果を生み出せていない。某案件は始動前の段階なので情報を公開できないし、自信を持って話せる内容が不十分なのだ。
もちろん、長期的な目標に向けて動きつつある、という抽象的な言い方はできるけれど、それでは何も知らない相手には熱意が伝わらない。
可能性として考えうる年末年始のイベント向けて、何かしらの形になるものを用意しておかなければ。ふと、そんなことを思った。