K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

インターネット上の異常者

ネット上にいる人を見ていると、はたして生きていて楽しいのだろうか……と思うことがある。
たとえばTwitterに少なからず棲息しているタイプの人間なのだが、フォロワー数は0に近く多くても100人程度、ツイートの大半はRTか引用RT、あるいはクソリプで満たされていて、そのほとんどが否定的な意見……つまり文句ばかりのやつだ。
私もTwitterが得意ではないから他人のことを云々言えるわけではないけれど、この手のモンスターは明らかに思考が歪んでいるから、どうしてこうなったのだろうと興味深く思う。まぁ視界に入ると不愉快になることが多いのが、とても悩ましいところだが。

 

見かけるタイミングは、バズっているツイートのリプライ欄であることが多い。
トレンドやTLで話題になっている偶然に開いたツイート上において行われている、くだらない議論に軽く目を通す。たいていの場合、常識的なグループと意味不明な主張を繰り返すグループに分かれていて、その場において「正義」なのがどちらかは「いいね」の数で判断できるようになっている。
彼らは彼らなりに、懸命に頭を振り絞って考えだした根拠を提示してくるわけだが、文脈に沿っていなかったり少し前の発言と矛盾していたりして、著しく説得力に乏しい。
悪い言い方をすると、純粋に頭が悪く見える。

そういう人のページに飛んで、過去のツイートを遡っていると、上に書いたように的外れな文句ばかりが並んでいて、たいてい無視されているようだが、たまに血気盛んな人間とレスバトルを繰り広げているのが見つかる。
なんとも滑稽というか、それだけの積極性があるなら、より良いTwitterの使い方もあるだろうに、どうしてこうなってしまうのだろうと哀れにすら思うのだ。
リアルの悩みやストレスの捌け口として利用しているだけなのかもしれないし、こういう歪んだ形であっても他人とコミュニケーションを取れていることに快感を覚える異常者なのかもしれない……いずれにせよ、自らを客観視できないというのは恐ろしいことだ。

 

私も無理やりTwitterを使い続けようとしていたら、こうなっていた可能性がないわけではない。
性格的に、あまりにも合わないと気づいたからこそ、こうして日記という形でのアウトプットにシフトしたわけだが、ここは本当に自分だけしかいないから居心地が好い。
ある程度の緊張感を保ちたいからインターネット上に公開しているとはいえ、読者の得になるようなことを何一つやっていないわけだから継続的に訪れる人間はいないだろうし、下手に注目を集めることもない。

もっとも、歪んでいるかどうかで言えば、私だって真っ当ではないのだから、頭のおかしな人間を指差して笑うわけにはいかない。ただ、あんな風にならないようにしようと反面教師にするだけだ。
そういう意味では、オープンながらに閉鎖的なブログ形態は誰にも迷惑をかけないという意味で、私の気質にマッチしていた。開始当初は、そんなこと思ってもいなかっただろうが。

かれこれ一年半以上も連続で投稿を続けているけれど、当分は日記という習慣に対する大きな心変わりは起こらないだろうから、来年も、再来年も、できればマイペースに書いていきたい。