K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

トレンドとネタ

寒いというネタで日記を書き続けるのも、そろそろ変化に乏しく限界になってきたので、何か別の分野から話題を持ってこようとTwitterを眺めていたのだが……まったくピンと来ない。
というわけで数週間ぶりに、ネタがないというネタで苦しくも字数ノルマを埋める記事となる。

 

こういう風に困った時には、トレンドを上から下までスクロールしていって、目に留まった気になるワードを検索して思考を巡らせるのがいつものパターンだ。
しかし、今日は何も引っかかるものがなかった。そもそも何に関連する話なのかわからないし、それでいて興味もない。感覚的には、まるで日本ではなく別の国のトレンドを見ているような気分になった。

逆に考えれば、大きな事件もなく平和な一日だったという証なのかもしれないので、私が「どうでもいい」と感じる言葉だけか並ぶ毎日が続いていったほうが、社会全体の幸福度は高いのではないかという気さえする。
個人的に面白くないトレンドであったとしても、どこかの誰かが話題にしているから上位に連なっているわけであって、やや浮世離れしている私に刺さらないということは、つまり大多数の一般大衆には合っていると見做すこともできるだろう。
そうなのだ。あまりにも、私は世の中の流行に疎すぎる。無知が極まっているせいで、大して仲が深くない人間との世間話なんて上手くできたことがないし、今後もできる気がしない。
まぁ他者との交流のない生活をしている今の私からすれば、既存の人間関係の外側にある誰かとの新たな出会いを経て、新鮮な会話に頭を悩ませる段階に至るなんて、なかなか想像しようもないのが現実なのだが。

 

それにしても、トレンドというと多くの人が話題にしているように錯覚してしまうけれど、実のところアレは非常に狭いコミュニティにおける一過性の盛り上がりを示しているだけに過ぎないのではないかと思ってしまう。
実態は不明だが、Twitterなんて誰もが使っているわけではないし、私のようにほとんどROM専という人はそれなりに存在しているにせよ、トレンドの対象となる主体的な発信を日常の一部に置いているタイプの人間は、社会全体からすればおそらくマイノリティだろう。
いわゆる「ツイ廃」は感覚が麻痺しているので信じられないかもしれないが、多くの人間にとっては、Twitterなんて単なる情報収集ツールの一種でしかない。まぁこれも私個人の思い込みという可能性は否定できないけれど……そうでなければ、くだらない出来事や単語がトレンドに上がることなんてないと思うのだ。

よくあるソーシャルゲームの、トレンド1位でアイテムプレゼント、みたいな企画も、能動人口が少ない環境だからこそ実現可能なのだと思っている。
多くの国民が参加している場では、そう簡単にトレンドワードを支配することなんてできない。
あるいは診断メーカーの結果に含まれる共通部分であったり、ちょっとした誤字や見間違いへの言及、謎のワードに対する疑問ツイートの増加、などなどトレンドに入る言葉の傾向は決まっている。
今朝なんて「見合わせ」から「貝合わせ」、そこから発展して「兜合わせ」なんていう、しょうもないネタが並んでいた。

Twitterでは盛り上がっているけれど、それ以外では目にすることのない話題というのも少なくないし、あくまであれは、能動的なTwitter人口における部分的な流行を示しているだけなのだ。
だから、トレンドに入っているからといって必ずしも世の中の流行というわけではないし、トレンドに入らない出来事や物事でも現実世界では一般的な知名度を獲得している、なんてことが珍しくない。

私は今のところ、熱意のあるTwitter参加者ではなく、ただ単に得たい情報を集める道具として捉えているだけなので、いちいちトレンドに惑わされることなく、なるべく客観的に冷めた目でTwitter界隈の動きを今後も探っていくことにしたい。