K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

内なるメッセージ

月に一度、一週間ほど続くのが恒例となった異様な眠気に悩まされる期間が、またやってきた。
特に最近は気温の低下に伴い、起床後に布団から出るために多くのエネルギーを必要とするようになったので、二度寝や三度寝の確率が跳ね上がっている。
気づいた時には数時間が経過していて、半日近く横になっていることも珍しくない。眠れば眠るほど時間経過の体感速度が高まるせいか、いつの間にか師走も半分に近づいているではないか。

 

つい先日まで、冬の入り口とはいえ外気に震えることはあまりなかったのだが、今日は夕方に買い物に出かけて、その寒さに驚いた。日常的にほとんど家から出ることがないため、たまに外出すると季節の変動を大きく感じることになるのだ。
これから冬が本格化してくるとなると、ただでさえ億劫な月に数回の買い出しが、ますます後回しになってしまいかねない。いずれ食料不足に陥って、コスパの悪いデリバリーサービスを頻繁に利用することになるかもしれない。

昨年にどうだったか考えてみたのだが、当時は今ほど痩せてはいなかったように思う。この一年でおよそ8~9%程度の体重が減少しているため、その分だけ体力は落ちていて、寒さにも弱くなっている。
もともと活力漲る人間ではなかったし、耐寒仕様の肉体ではなかったけれど、もし数年ぶりに知人と会う機会に恵まれたとしたら、より細くなった私を見て健康を心配するに違いない。

日夜を問わず、起きている間は暖房を使用しているのだが、壁の薄さからもわかるように気密性に乏しい住宅であるため、頗る外気の影響を受けやすく、エアコンの効きが非常に悪い。
特に夜中は厳しい寒さに室内の熱気が負けがちで、着込んでいても寒さに震えることが珍しくない。電気代を気にしている都合から設定温度を上げたくないので、効率よく暖を取るには布団に入るのが一番という状況だ。
要するに、夏のように深夜の作業を続けるのは、やや困難に感じている。
意図しているわけではないのに、夜は寒さから逃れるように横たわるしかなく、自然と起床するのは太陽の出ている時間帯になる。健康なんだか不健康なんだか微妙ではあるが、不本意ながらも外的要因によって、冬の間はある程度の安定した生活リズムを保てそうな予感がする今日この頃といったところだ。

 

眠りが長いと、睡眠不足は解消される。すると、睡眠そのものに余裕が出てきて、夢を見ることが可能となる。
深い眠りと浅い眠りを繰り返す過程で、夢の世界を記憶するだけの余白が生まれるわけだ。

今朝方の夢は、久々に長編物語だった。もっとも、夢らしいファンタジー性は皆無で、ちょっとリアルすぎるくらいだったが。
すっかり社会という仕組みから解き放たれたはずの私が、なぜか集団の中で作業をしている。周囲の人間とコミュニケーションを図りながら、定められた課題を達成するために励む姿は、何か気味の悪さを感じるくらいに面白味に欠けていた。
この道を歩み続けたら、きっと後悔することになる。かつて、そう確信したからこそ今があるのだが……道を避けることなく、真っ直ぐに進んでいった先に見える、もう一人の私がそこにいた。
一日を終えて、人生について考える。なんて楽しくないのだろう。夢の中だからこそ、ゲームのキャラクターを操るように不自然な三人称視点で私は行動するのだが、今この瞬間の動いている自分をリアルタイムで客観視できる構造というのは、なんとも強烈な違和感があった。
おかしい。別の人生を選択したはずなのに、どうして私は苦しい環境に囚われているのだろう。
思い始めたら、その疑念は際限なく膨らんでいった。「私を見ている私」の足元が徐々に瓦解していく。明確に「嫌だ」と感じた瞬間に、夢の終焉と現実の目覚めに気づいた。

これは、何かの示唆なのだろうか。
深層心理で、私は何かを訴えようとしているのか、あるいは……確かに近頃の私は、私自身に不満を抱いていた。そろそろ、ちゃんとしろという催促なのだろうか。
季節は巡った。これは、「私」から私へのメッセージとして受け取ることにしよう。向き合わなければならない。