K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

アルセウスを眺めて

プレイしていないゲームについて書くのはどうかと思ったのだけれど、他人が配信しているのを見ていたらゲームの大枠を掴むことはできたので、まぁ半分くらい自分で遊んだのと同じようなものだろうと感じた。
率直に感想を言えば、良作ではあるものの神ゲーと絶賛するほどでもない。個人的には実況プレイを見ているだけで満足できてしまうかなと……別に悪評を書きたいわけではないのだが、自ら時間をかけて熱中するほどのものではないと思ったのだ。

 

そもそも、今どきSwitchを持っていないゲーム弱者なので、実際に遊べるようになるまでのハードルが非常に高く、たとえ興味があっても買うところまで行くとは思っていない。
他人が楽しむ姿を見ていて、自分でも遊んでみたいという強烈な情熱が引き起こされた場合に限り、ハードとソフトの同時購入を検討するかもしれないというレベルだから、まだSwitchを手に入れる日は当分やってきそうにない。

さて、私とポケモンとの出会い、そしてプレイ遍歴については……確か、数か月前の日記で書いたような気がするので詳しくまとめることはしないが、簡単に言ってしまえば極めて人並みだったように思う。
小学校から大学入学くらいまでにかけて、マイナーチェンジやリメイクを含めれば二年に一度くらいのペースで新作が出ていたから、ポケモンを遊ばない年はなかったかもしれない。
私のポケモンキャリア最終盤においては、個体値の厳選やら努力値の調整やらに時間を注ぎ、インターネットを介した対人戦にエネルギーを費やす日々があった。
人並みとは言ったものの、何も知らない一般人からすれば十分に異常だった可能性はある。ただ、そこそこのゲーマー基準に当てはめれば、珍しくもなんともないだろう。

私にとって、思春期を共に歩んできたポケモンだったが、大学生活が始まってしばらくすると、急速に熱が冷めていった。プツリと糸が途切れたように、かつての熱意は戻らない。
新生活に馴染むために日頃から神経を使っていて、余暇にゲームをする余裕がなかったというのもあるし、いざ心にゆとりが生まれたらPCゲーなど別ジャンルにハマったことも大きな要因ではあるだろうが、それにしても驚くくらい唐突にポケモンから距離を置くことになった。
明確なきっかけがあったわけではないけれど、あの時点で私はポケモンユーザーではなくなったのだ。
その間には、新作が出たら一応ストーリーだけはプレイするという段階があり、次に新作を買わないという過程を経て、とうとう知らない間に新作が出ていたというくらいに関心を失うようになる。途中、ゲームハードがDS系からSwitchに切り替わったこともあって、購入するかどうか考えることすらなくなってしまった。

 

今作『アルセウス』に関しては、流石に発売前からの注目度が大きかったこともあり、私の耳にも情報が入ってきていた。
そして既存の作品とは一風異なるゲームスタイルに、多少の興味が湧いていたことは否定できない……結局、他の人が遊んでいるのを眺めているだけで満足してしまったが、ダイパ世代をガッツリと遊んだだけあって、それなりにストーリーは面白かったと思う。

大昔の、まだ野生感たっぷりのポケモン世界を、セミオープンワールド的なシステムに基づいて駆け巡る冒険は確かに新鮮であり、ポケモンという存在への解像度を高める作用はかつてないほどに含まれていた。
自分でプレイしなくてもわかる。少し前に出たバグだらけのダイパリメイクと比べたら、これは遥かに好評となるだろう。
しばらくは、こんなことがあったよ、という動画がTwitterYouTubeに上がりまくるだろうし、流石に巨大IPだけあってプレイヤー数は桁違いだ。いい具合に盛り上がっている。

もっとも、細かいシステム面における問題点やストレス源は、見ているだけでもいくつか気がついたくらいで、まだまだ改善の余地がある。
もし今後も似たような形で、たとえば別地方の深掘りをする作品が出るなら、本筋以外のシリーズとして定着するかもしれない。それはそれでコンテンツの寿命が伸びるだろうし、結構なことだと思う。
一方で、それでも私は「自分で」とはならなかった。遊び方は性格にもよるだろう。ストーリーだけを進めたい人もいれば、寄り道しながら大量のミッションを一つずつクリアしていきたい人もいる。
ポケモンから離れて久しい私は前者の感覚に近いため、ただ見ているだけで満たされてしまったのだった。

 

いつもは捻くれた逆張り精神が災いして、盛大に流行に乗り遅れがちな私ではあるけれど、今回はプレイではなく視聴という方法によって、形だけでも話題に触れることができている。
まぁ所詮はゲームについて会話する相手のいない生涯ソロプレイヤーの人間だから、大して違いはないのだが、ふと目に入ってくる流行コンテンツに心が寄り添えない感覚は気持ち悪くて仕方ないから、そのダメージを軽減できているのは幸いなことだ。

それにしても、いつかまた私がポケモンを遊ぶことはあるのだろうか……あの頃は死ぬまで遊び続けると信じていたのに、あっけなく人は変わるものだ。