K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

三回目のアレ

すっかり意識から抜け落ちていた、某ワクチン三回目の接種キャンペーンだけれど……本日、接種券の到着を確認したことで思い出させられた。
今週の外出日は火曜と今日だったので、過去三日以内という以外には、届いたタイミングの細かい情報は持っていない。
まぁなんでもいいが、三回目自体はもう少し前から行われていたようだし、接種可能日が迫ってきている人から優先して送付しているのだろう。

 

そもそも自治体のホームページを見れば、だいたいのことは書いてある。
もっと私が興味を持っていれば、数週間前には三回目の状況について、ある程度は把握できていたに違いない。
しかし、実際には完全に失念しているほど興味の欠片もなかった。もし手違いか何かで届かない事故が起きていたら、このまま当分は認識できないまま過ごしていた可能性が低くないのだ。

原因を考えた。なぜ、忘れていたのだろう。
一つには、情報収集頻度の著しい低下が考えられる。
以前から基本的にテレビは見ないため、最新のニュースに対する反応が鈍いところはあった。けれど、より即時性のあるTwitterを眺める習慣によって、日々の情報不足を補っている側面があった。
しかしながら、最近はTwitterを滅多に見なくなってしまったのだ。もともと肌に合わない場だったから、自ら呟くことはほとんどなかったけれど、このところ、どうにもTLに流れてくるツイートを追うことすら億劫になった。
何か気になったトピックを調べる時に活用することはあるにせよ、誰かの発信が絶えず視界に入るような消極的な使い方は、どうにもMPを無駄に消費してしまう気がして、嫌気が差したのかもしれない。
情報は武器であると同時に、摂取量に気をつけないと毒にもなり得る。膨大な情報が流れてくる環境に身を置いていると、意識の外側で絶えず精神が摩耗する。
私は、ふと疲れを感じ取ったのだろう。別に見る必要なんてない。かつては数時間に一度は目を通していたはずなのに、いつの間にか、一日に一度か二度チラ見するだけで満足してしまうようになった。

関連して、TLに流れている情報の変化が二つ目の原因と思われる。
発売されて間もないゲームの話題や、芸能人の不祥事、あるいは戦争などに対する世間の関心は高いようで、これらは興味がなくても視界に入る。
情報を得ようと試みることなく、開いた瞬間から特定の情報が眼球を通じて脳に到達するのだ。Twitterにアクセスする以上、これは避けようがない。
一方で、トレンドに載らない出来事は能動的な働きかけがなければ、なかなか捉えにくいところがある。三回目の件は、まさにこれなのだ。
一回目や二回目では自らの体験を嬉々として報告していた人間が、三回目についてはまるで言及していない。まだ人口の大部分が受けていないから、そういう時期ではない可能性もあるけれど、少なくとも私のTLにおいて三回目の話をしている人間は見つからなかった。

 

今日の日記を書きながら、軽くググってみたのだが、実際問題あまり進んでいないらしい。
二回目までは、反対している一部の人間を除いて積極的な姿勢が見受けられたというのに、三回目となると不思議なことに接種行動が消極化してしまっている。
私も上に書いたように忘れていたくらいだし、Twitterに棲息している連中もそうだ。誰も話題にしないから興味を抱きづらく、状況を共有しようとする流れになりにくいのかもしれない。
接種券が届いても、有効性が不明だしみんなが話していないから……と接種を躊躇ってしまう人は少なくないだろう。常に周囲の空気を感じ取って合わせようとする日本人的な気質が、厄介にも進捗を妨げているのではないかと思った。

私は買い出しや通院以外で外に出ることがなく、赤の他人と無作為に接触する機会なんてないものだから、正直なところ接種する意味はほとんどないと思っている。
世界で最も感染リスクの低い群に属している自信があるから、わざわざ外出して打ちにいくほうが怖いくらいだ。
そういう理由で、しばらく様子見しようかと考えている。そもそも来月にならないと順番が回ってこないから、これは現時点での判断に過ぎないが……仮にそれまでに状況が変わっていれば、ワクチン接種に積極的になる余地は十分に残っているだろう。

それにしても、まったくニュースを見ないせいで直近の感染状況に関する一切の知識がないのだが、こんなことを書いてなお調べようとも思わないから、私の世間との距離感は相当なものだ。
そのうち、浦島太郎の気分が味わえるかもしれない。