K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

ゆらゆら

普段は揺れに鈍感気味な私も、昨夜の地震には気づいた。
ちょうど某配信を見ている最中だったので、自らの感覚よりも前にコメントで知ることになったから心構えができていたというのもあるが、長い揺れを感じている最中、至って冷静だった。
都内だから震度は4程度で、わりと大きいなとは思いつつも恐怖するほどではない。目の前のPCモニターが前後に動くのを見つめながら、最初のコメントが流れてから自分が揺れを感じ取るまでのラグについて考えた。

 

長く続く地震は感覚を狂わせる。
実際には揺れが完全に止まっているにもかかわらず、まだ揺れているのではないかと錯覚するのだ。船酔いと似たようなものかもしれない。
幸い、私はそのような状態には陥らなかった。日頃から椅子の上で無意識に身体を揺らしているせいで、耐性が出来ているのだろうか。
室内全体が振動するレベルでないと察知できないから、初期微動については配信上のコメントがなければ気づかなかったかもしれない。その後、建物が軋みながら音を立て始めたので、流石にどんな状況でも本震には気づいただろうが。
ハンガーに掛けたバスタオルが、ゆらゆらと視界の端で動いていた。大きな揺れが生じているかどうかは、今後はこれを見て判断すればいいと思った。

日常的な地震の中では、そこそこに大きな、無視するのが難しいくらいの揺れを感じながら……おそらく震源地に近い地域の住人によるコメントと比べると、若干の間隔があったことに思考を向ける。
ずっと東京に住んでいると、大地震の直撃がどのようなものか知らないまま生きることになる。もし大きな揺れがあった際には、どこか遠方の地で凄まじいエネルギーが爆発したのだろうという風に、自然と考えてしまうのだ。
もちろん、大昔に関東大震災があったことは知っているけれど、自ら直下型を受けることなんて基本的には想定していない。
今回も、どこで大地震が発生したのだろう、とすぐに思った。西か、東か。揺れの性質が11年前と似ていたこともあって、ぼんやりと頭に浮かべた地域は、現実と合致していた。

 

別に興味津々で情報を追っているわけではないから、たまたま目に入ったニュースしか知らないけれど、11年前と同じようなことにならなくて、ひとまず安堵した。
ただ、諸々の被害が出ているにもかかわらず、あっさりしすぎているような気がしないでもない。地震そのもののエネルギーが少ないのだから当然ではあるのだが、まだ日常の域を出ていないというか、拍子抜け感が否めないのだ。
もしかしたら、テレビのワイドショーなどではメイントピックとして様々な報道が行われているのかもしれない。私がテレビを見ず、基本的に情報収集はTwitterばかりだから、認識が歪んでしまっている可能性はあるだろう。

どうにも現実味が薄い。
断水も停電もなく、ちょっとした揺れを経験するだけだったから他人事に感じてしまうのだろう。
運が良かったのだ。
なお、いざという時の備えは用意していないし、地震直後にも椅子に座ったまま動かなかった。いつか足を掬われそうだ。