K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

娯楽とコスパの感覚

とりあえず毎日ひとつ、思い立ったタスクを消化していくつもりで、昨日の日記に書いたように漫画を読んだ。
インターネットに費やす時間が増えてからは漫画と関わることが減ってしまった私だけれど、小学生時代はほとんど毎日のように漫画に触れていたし、中学高校時代はジャンプを欠かさず読むくらい漫画というものにハマっていた。
今だから言えるが、漫画は非常にコスパが良く、かつ非常にコスパが悪い、二面性を孕んだ娯楽だと思った。

 

最近の傾向として、できるだけ効率を重視する考え、というより感覚がある気がする。
多種多様な娯楽で溢れた世の中だけれど、一人の人間が使える時間は昔から変わっておらず限られている。より多くの楽しみを享受するためには、それぞれへのアプローチを簡略化したほうがよい……というものだ。
私自身は、趣味において重要なのは効率よりも深さだと思っているから当てはまらないのだけれど、たとえばアニメを倍速で見たり、あらすじを読むだけでコンテンツを取り入れた気になって満足している人間がいるのも事実だろう。
そういう意味では、ペラペラとページを捲っていき短い期間で物語を摂取できる漫画という形態は、とても理に適っている。長く拘束されづらく、一方で省略することなく自らのペースで進めることができるからだ。
たとえ週刊誌の発行部数は減少していても、電子媒体で誰でも気軽にアクセスできるようになっている点はインターネット全盛の時代にマッチしていて、しばしばTwitterなどでは流行りの漫画がトレンドに挙がることも珍しくなくなっている。

本棚に揃えた大量の漫画を、暇な時間に摘んでいくような楽しみ方は、最近では難しくなった。暇な時間を吸収していくのは、別の娯楽に置き換わってしまったからだ。
だから私が漫画を読むのは、偶然にも興味を抱いて追っている作品の新刊が出た時に限られる。せいぜい、半年に数冊といったところで、これは趣味の大部分が漫画で占められていた頃の足元にも及ばない。
もはや漫画は、大きな趣味ではなくなってしまったのかもしれない。
そんな私が、久しぶりに漫画を読む。数か月ぶりで、やや積読状態であったのに、一時間もしないくらいで消化してしまった。
とてもコスパが悪いと思った。

手軽に素早く摂取できることが肝要な最近の流れと、より長く深く作品を楽しみたい私の考えは、どうにも相反している。
無料で読める作品は例外になるが、ちゃんと購入したとしたら、時間あたりの価格が高すぎる気がするのだ。
しかも漫画一冊では、大して物語なんて進まない。読後の満足感は、映画を一本鑑賞するのに及ばない。アニメを見たり、小説を読んだりするほうがずっと腹は膨れるだろう。

同じ作品のアニメと原作漫画を比べたら、後者のほうが圧倒的な速度で物語が進行する。それを善とする人が増えているという話なのだが、個人的にはもう少し間というか、空白を求めたい。速度感が違うのだ。
アニメを最新話まで見て、続きが気になって我慢できないから先に漫画を読んでしまうという人がいる。どう楽しむかは自由だから、もちろん構わないけれど、私は次の話が公開されるまでの時間も含めて醍醐味だと思っている。
それに、一貫性のないことはしたくないのだ。アニメはアニメで楽しみたい。漫画を読むなら、漫画だけで。妙なこだわりだとは思うけれど、途中で乗り換えたら気持ち悪いではないか。

 

文字数が多く、一冊を読むのに時間とエネルギーを使う漫画は、だから私にとっては価値が高い。
時代には合わないかもしれないけれど、そういった作品のほうが相対的に満足感を得られる気がするのだ。
具体的にいくつか挙げると、『DEATH NOTE』はバランスが良かった。『名探偵コナン』は冗長に感じることもあるが、最も時間を費やした作品だ。『BLEACH』はむしろ現代的だけれど、あれは単行本一冊を、重厚な漫画の一話と同程度の気持ちで読めるという意味で、逆に突き抜けていたのではないかと思う。例外的な名作だ。

まぁ私が追求するコスパを重視するのであれば、究極的には漫画なんて読めなくなるし、小説ばかりになってしまうだろう。
そして時間には限りがあるから、あれもこれも、と手を出していくことができない。それはそれで娯楽との付き合い方が下手な気がするから、特定のジャンルに偏らないことが大切なのではないかと思った。