K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

積み○○

自由とは最大の不自由でもあって、自ら予定を組める分だけ一日の行動は気まぐれに左右されやすい。
かつては日常の規則的な動作の隙間で楽しむことが可能だった趣味のいくつかは、今や手つかずになりがちだ。
読書やアニメ鑑賞、楽しみにして買ったはずのゲームなどが、もはや数えきれないほど控えている。

 

体力不足だとかモチベーションの低下だとか、適当に言い訳することもできるけれど、最大の原因は某ソシャゲにハマりすぎていることなので、根本的にはソシャゲに費やす時間を減らさない限り変わらないだろう。
とはいえ、生活環境が大幅に変化した一年前から明らかに、以前は楽しめていたコンテンツに触れる機会が減少し、それらの進捗が滞ることとなった。
別に娯楽なんて強制されるものではないから、その気がないなら当分は放置してしまっても問題はないのかもしれない。実際、しばらく本を読まなくなったり、アニメを見なくなったりしても、何かに困ったという実感はない。

アニメについては大量の作品を週一ペースで見ていくことができなくなっただけで、気が乗ればまとめて全話一気見、くらいのことは不可能ではない。
数本なら大丈夫なのだけれど、数年前には余裕だったクールあたり十本みたいな負担になると、途端に荷が重くなるのだ。
毎日、何かしらの作品を見なければ追いつかなくなる。一日のうちで絶対的に使用しなければならない固定時間が発生するのは、気まぐれメインで生きている今の私には難しい。
仕事があるから早寝しなければならない。寝る前に一話だけ見よう。そんな、ある意味で規則的な動きが困難になった。

読書に関しては仕事云々よりも、在宅メインになってからの可処分時間の変化が顕著で、主に通勤時間という虚無が消滅した影響が大きい。
眠気に抗えないことも少なくなかったが、おおよそ週の半分以上は読書に充てていたから、長い目で見ると非常に大きな差が出る。
その分、別のことに時間を使えているという見方は当然あるけれど、浮いた余暇を必ずしも有効活用できているとは限らないし、気力次第にはなるが確定で読書に時間を費やせていた日々は、思い返すと知的好奇心という側面から見ると充実していたような気がする。
読みたくなって買ったはいいものの、「買って満足」して終わってしまっている作品がいくつもある。
もちろん本に消費期限はないのだから、いつになるかわからないが数年後の楽しみとして置いておくのも悪くはないとは思うけれど。

ゲームについては、他の二つと比べるとやや致命的で、買ったはいいものの必要な時間を考慮すると手出しできない、という事態が発生している。
遊びたいから買ったはずなのに始められないなんて矛盾しているようではあるが、買った理由は「興味があったゲームが安かったから」とか「いつかモチベーションが湧いてプレイすると思った」とか、絶対的な根拠なしに入手している場合が珍しくない。
ゲームはアニメや読書よりも、圧倒的に消費時間が多い。全クリまで行かなくても、一段落するまでが長いのだ。まとまった暇と気力と体力がなければ、納得できる形でコンテンツを享受することができない。覚悟がいる。
そんなわけで、コンシューマーゲームを遊びきる、ということのハードルが学生時代以前と比べて高くなっている。

 

娯楽に溢れている時代だが、今後も新しいものは次々と出てくるし、感性を磨くためにそれらを無視することもできない。
現状、抱えている多くの積み○○は、ちょっとずつ消化していくつもりではあるけれど、何か大きなきっかけがあってドハマりしない限り、決して優先度が上位に来ることはないだろうし、なかなか全部を楽しむのは絶望的な夢と化している。
さらに積み上がっていく可能性も高いわけで、人生の時間がまったく足りていない。

そう思うと、やはり面白くもないタスクを延々と片付けるだけの労働に自らを捧げる行為は、個人的には価値が低すぎると思ってしまう。
まぁ自らの選択を肯定したいだけかもしれないが。