K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

あるひとつの欲を取り戻したい

だんだん暖かく……というよりも暑さのほうが目立ち始めてきた最近の気候に影響を受けて、ちょうど一年ほど前に何をしていたか考えることが増えている。
季節の変わり目というのは、いつもそうだ。特定の時期に発生する出来事を思い出しやすくなるし、対象の出来事と自身を比較することで、一年間の変化を把握しやすくなる。
どうやら、随分と体力が落ちたようだ。今年の私は、昨年よりも明らかに行動のパターン、範囲が減少している。

 

少なくとも2020年の終わりまで、あるいは2021年の初め頃までは、十代の前半から続けてきた特定の習慣に時間とエネルギーを注ぎ込んでいた。
端的に言うと、アニメ鑑賞という趣味だ。
それが今では、四半期ごとに一作品を見るか見ないか、といった「アニメ離れ」具合であり、ひょっとすると数年前の私が信じられないほど刺激に乏しい日々を送っているのかもしれない。
あれだけ大好きだったのに、いや今でも嫌いになったわけではないのだが、かつては一切の抵抗感なく無心でアニメに向き合えたというのに、もはや重い腰が上がらない。
すっかり、新しい作品世界飛び込む勇気が影を潜めてしまった。

まぁしかし、長い時間の経過とともに、知識の蓄積や精神の成長を伴って、アニメという娯楽へのアプローチの仕方は徐々に変化するのが常ではあった。
ハマりたての頃は半日で12話一気見なんてことも余裕だったし、毎日のように複数作品をリアルタイムで視聴していた。
毎晩、決まった時間に様々な作品を楽しむことが、日常の安寧に欠かせないルーティーンとなっていたのだ。
そうしたスタイルは、もちろん永遠と続くわけではない。初めての刺激は無限の面白さを私の純粋な心に提供してくれたけれど、多くのアニメに触れるうちに、自分の中に「慣れ」が形成されていった。
ディテールは異なるにせよ、大枠は似ている。アニメに典型的なパターンを、明確に自覚しない程度の領域において理解してしまったらしい。
少しずつ、本当に少しずつではあるが、過去に楽しんだ作品と類似するアニメに対しては消極的になっていき、視聴本数は年々緩やかに減少していったように思う。

もっとも、特定の期間にどんなアニメを見るかどうかは、その時々の忙しさや放送されるアニメの質によって左右されることのほうが多かった。
余暇を捻出できなければ、興味があっても視聴を断熱せざるを得ないことだってある。放送前から大きく注目が集まっている作品、特にオリジナルアニメについては多少の無理をしてでも見たいという気持ちが強くなることも珍しくなかった。
決定的な要因はなく、自らの視聴スタイルと環境によって、アニメに対するモチベーションが揺れ動いていたというのが実際に最も近い表現になるだろう。

 

昨年の半ばから今年にかけて、視聴意欲が過去にない勢いで減衰した。
わかりやすい契機があったわけではない。はっきりとした原因が不明だから、振り返ってみると困惑を余儀なくされるのだけれど、感覚的な推測によると、おそらく心身ともに体力の絶対値が下がったのだろうと思う。
肉体的には、運動不足に起因する筋力および体重の低下で疲れやすくなったこと……それと関連して、精神面において消極性が増したのだ。
本来は求めていたはずの「新しい刺激」に触れることを、無意識のうちに避けるようになってしまった。だって、エネルギーを使うから。疲れるから。
困った話だ。

見始めてしまえば、今でも問題なく楽しめる。目が肥えているから作品選びには慎重になる必要があるけれど、数年前の時点の私が納得できる水準の作品と出会うことができれば、再びアニメに向き合うだけの燃料を燃やすことは可能だ。
何にでも言えることだけれど、物事というのは始めるのが、最初の一歩が、最も大変なのだろう。まったく遮るものがなく、視界に入った気になる作品を手当り次第に摂取できていたあの頃は、今と比較すると無尽蔵に等しい体力があったと言って差し支えない。

ただ、新しい刺激を失うことは、思っている以上に心を衰退させるようだ。
つまらない。日記のネタにも困る始末だ。
別にアニメに限らず、漫画や小説でも構わないのだが、とにかく現状の私は惰性に身を任せてしまっていて、とりわけ創造性の維持において芳しくない状況下にある。
なんでもいいから、新しい作品を積極的に楽しみたいと思える自発的な欲求を取り戻していきたい。
まずは、だから初動が肝要なのだ。思いきって動くこと。手を付けること。始めてさえしまえば、あとは流れに乗るだけなのだから。