K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

気温に振り回される生活

あまり外に出ないから普通の一般人と比べたら影響を受ける頻度は少ないとはいえ、痩せ型で体力のない私はちょっとした気温の変化に弱い。
寒さには極端に弱いから冬は全般的にパフォーマンスが落ちるし、夏は夏で元気を持続させるのが困難になるから、一年のうち快適なのは短い春と秋くらいのものだ。
関東は梅雨に入った。いよいよ、過ごしやすい季節が終わりを迎えようとしている。

 

先々週あたりだったろうか、軽く夏へと足を踏み入れるようなイメージで、一瞬だけ夏日を体験させてきたのは。
既に、昼間にはエアコンなしでは厳しい日が出てきているから、もう夏が近づいているのは実感していたところではあるけれど、不思議とここにきて唐突に気温が下がり始めた。
梅雨というのは、もっと蒸し暑くなるものかと思っていたのに、夏に向けた軽装では肌寒くなるくらいで、油断していたら風邪を引きかねない。

夜には天井から冬に近い冷気が降り注いでくるから、今日なんかは半袖というわけにもいかず、半年後まで使わないと思っていた服装のパターンに切り替える羽目になった。
いったいどうして、人間の感じる空気の温度というものは、絶妙なところでしか快適さを得られないのだろう。本当に少しズレただけで、著しくQOLが低下する。
まだ夏には早いということで戻るのは構わないが、少々戻りすぎな気がしないでもない。あと二、三度でも高ければ、相当に過ごしやすいというのに。
幼少期から東京暮らしだから実際のところは不明だが、おそらく体質的に雪国では生きていけそうもない。

基本的に外出をしないため、雨だからといって困ることは滅多にない。流石に連日、雨が降り続くとなると、買い出しに行けなくて面倒なことにはなるけれど、絶対に雨天のもと外を歩かなければならないという状況にはならないのだから、まぁ楽なものだ。
しかしながら、住居の通気性が素晴らしいこともあって、雨による高湿度や気温の上下には敏感にならざるを得ない。
窓を締めきっているのだから、外の環境に関係なく一定の空気を保っていてほしいという気持ちは強い。完全に密室となると酸欠で死んでしまうわけで、どこかに空気の通り道は確保されているはずだから、季節の影響を完全に受けないようにすることなんて現実には不可能なのだが、やはり気に食わないのだ。
私はただ、私の肉体が極力ストレスを感じないように生きていたいだけなのに。

 

先日の疲れは、まだ完全に癒えてはいないような気がする。
体力自体は、ほとんど回復しているはずだ。それなりに眠ったし、もう通常の歩行に支障は出ていない。
ただ、なんと言うべきか、疲労にも二つのタイプがあると思うのだ。ぐっすり寝ることで瞬時に戻る刹那的な体力の減少と、元に戻るまで時間がかかる身体の根っこに生じるダメージ……これは身体の核が欠損しているような感じで、復調には少なくとも数日から数週間を要する。

動き慣れている人間は堅固なプロテクトが芯の部分に張り巡らされているだろうから、回復が早い……というよりダメージ自体が少ないのだろう。
私は外を動き回ることに適応していないから、ダイレクトに身体の根本が壊れてしまった。
外側を取り繕うことはできるけれど、まだ内側はボロボロだから、実質的な耐久値は非常に低い。本当に繊細なのだ。
自分でも想定外なくらい、気候変動に体調が左右されている。今後しばらくは、具合の悪さを訴える日記が増えるかもしれない。