K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

記憶は曖昧

特に明確なきっかけはなく、なんとなく気が向いたからとしか説明できないのだが、152分という長さの洋画を夕方から見始めた。
夜までに何をしなければならないというわけでもないから、こういう自由な時間の使い方は問題ないとはいえ、流石に長い。心の準備なく152分を持っていかれたことには多少の溜め息が出てしまう。
しかし、映画自体は悪いものではなかった。何しろ、映画史に残る傑作と言っても過言ではない作品なのだから。

 

実のところ、この映画は公開当時に劇場で鑑賞した作品だった。
もう随分と前の話だから、物語の細部はもちろんのこと、大筋すらハッキリとしたイメージは頭に残っていなかったし、登場人物の関係性や結末については、もはや初見と変わらないほどだった。
確かに見た。その事実に対する認識しか、記憶にない。はたして、こんなシーンはあっただろうか。この後、どういう流れになったのだったか。ほとんど新鮮な刺激を受けつつ、まったく覚えていないことに記憶力の限界を感じる羽目になった。
面白い。面白いが……どうにも記憶の奥底に散らばる断片から察せられる印象とは、実際の作品内容は異なる感じだ。いったい私は、過去に何を観ていたのだろう。なんとも不可思議な記憶違いを発見したような……とにかく人間の記憶なんて、特にそれが十年以上も前となると、まったくアテにならないということだけはよくわかる。

物凄く魅力的なキャラクターがいる。
彼についてだけは、大きく色褪せることなく頭の中にイメージがこびりついていたのだけれど、一方でそれを取り巻く有象無象に関してはまるで覚えがなかった。
いくつかの衝撃的なシーンには、確かに見覚えがあった。しかし、中盤から終盤にかけての、本来はクライマックスとして人々の記憶に残りやすいであろう展開が、すっぽりと抜け落ちていたらしい。
こんな話だっただろうか。もう少し異なるシーンもあったように思うが、待っていたら見られるだろうか。そんな思考を巡らせているうちに、映画は終わってしまった。
単純に忘れているというだけではなく、いわゆる存在しない記憶というやつだろうか……脳内に残る非常に限られた僅かな情報を組み合わせて、いつの間にか勝手に、ありもしない映画のシーンを作り上げていたらしい。
この映画には、こんな展開があったはずだ。時間の経過とともに薄れゆく記憶を埋め合わせるように、私が物語を再構成して一方的に映画の中身を変えてしまっていた。驚くほかない。

後年、この作品に出てくる悪役を主役とした映画が作られたのだが、やや別の世界線的なところもあって、あれはあれで完成度の高いものだった。そしてどうやら、さらに新作を制作するという話が出ているようだ。
蛇足にならないように祈りつつ……きっと公開されたら楽しみにして観にいくのだろう。

 

それにしても似たような事象が、かつて楽しんだ他の映画やアニメにおいても発生しているとしたら、私が頭の中で決めつけている様々な作品に対する評価が崩れてしまいかねない。
あの作品はこんな感じだったという、なんとなく抱いているイメージが実は徐々に変質しているのだとしたら、私は私の記憶を信じにくくなる。経験則というか、知識の蓄積のようなものが機能しなくなることほど、人生において怖いものはなかなかないだろう。
まぁ前向きに捉えるなら、たっぷり時間を空けて久々に触れることで、初見に等しい楽しみを享受できる可能性が生まれたことを示唆しているという風にも考えられるが。