K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

買い物のついで

選挙に行ってきた。
まぁ一応は国民として、与えられた権利を確実に行使することが推奨されているのは理解しているから、外に出るのが好きではない私といえど、特に身体が動かせないなどの問題がなければ投票しにいくのも吝かではない。
ただ、やはり心情的には、それだけのために出かけるのは億劫でしかなく、何か他に動機づけが必要だと思った。

 

前回、食料や飲み物を買い込んだのが一週間前の土曜日であったから、まだ数日くらいは生きていけそうではあるものの、そろそろスーパーに行く頃合いではあった。
そう、これはただの買い出しに過ぎないのだ。
買い物のついでに、どうせだから投票をする。いや、どうだろう。投票するための元気を絞り出すために、買い物という目的を追加した形になるのだろうか。
よく、わからない。実際どちらでもいいのだけれど、より重要な目的がどちらであったのか、終わってみてしばらく考えても、確かな答えが出てこないのだ。
私は、いったい何をしに外出してきたのだろう。

毎度のことだが、こうして久しぶりに外を歩くと、その夜は高確率で想定以上の疲労感に苛まれることになる。
日記を書く気力だけは辛うじて捻出できているけれど、少し油断したら一瞬で気絶するように寝落ちしてしまいかねないほど、全身がひどい倦怠感に包まれているのだ。
一時間にも満たない、たった数kmの距離を往復しただけだというのに。

わざわざ誰に投票したとか、あるいは自分の政治的イデオロギーなんかを書いていくつもりはない。今回の選挙への参加は、どちらかと言えば「そういうもの」という意識の強い行為だった。
なんとなく、何もしないで引きこもっていると、ほんの少しだけ自身に対して嫌な気持ちを抱くような気がしたから……つまり自己満足の側面がある。
結果も、正直どうでもいい。何かが大きく変わることに期待するのは、おそらく精神的にコスパが悪い。ほとんど独身で生涯を突き進みそうな私にとっては、個人的な面倒さえ増えなければ、もうそれでいい。

夕方だったので日中ほどの暑さは感じず、半袖ならば大して汗ばむこともない気候だった。
とはいえ相変わらず購入した品々は、痩せすぎた肉体を持つ私には過剰な重荷以外の何物でもなく、帰路は随分と歩行が緩慢になる。
社会人の一年目に、新人だからという理由で誰でもできる雑用、もとい肉体労働を強いられたことを思い出した。
もっと体格的に適した人間はいくらでもいるというのに、相対的に最も負担の大きくなる私が体力仕事を担わなければならないことに、ひどく不満を覚えたものだった。
相応しくない。こうした細々とした物事の適性に対する鋭敏な判断の蓄積が、私の人生選択に影響を与えなかったと言えば嘘になるだろう。
私は、世間一般の平均的な人間が持つ「自身のアイデンティティ」への認識を、遥かに上回るレベルで自覚している。私は、私に詳しいのだ。

あまり興味はなかったというのに、ふとTwitterYouTubeを目をやると開票速報が流れているものだから、曲がりなりにも参加した立場として、ついページを開いてしまう。
数分だけ見て、そんなものかと思ってすぐに閉じる。私の個人にとっては、なんの意味があるのかわからない一日だった気さえしてしまう。
なぜか不思議と無駄だったとは思わないのだが、それはきっと国民的行事に加わったことへの一体感がネット上に蔓延しているからだろう。
もともと「どうでもいい」私にとっては、展開される情報の内容にかかわらず拒否反応を示す必要なんてないから、私はそれらを自然と受け入れる。
そして他者との直接的なコミュニケーションが発生するわけでもないから、ネガティブな気持ちにもならない。

 

それでも、疲れは溜まるのだ。
外出した。予定を済ませた。たったそれだけのことで、異様に疲れてしまう。本当に体力のない、私の身体……病気にはならず、数値上の異常もなくて健康だというのに、どう考えても不健康に生きている人間よりも元気に乏しい。
これからもきっと、歪な形のまま生き続けるのだろう。