K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

腹の鳴りが止まらない

胃腸が弱いので、滅多にないというほどの現象でもないのだが、それにしても今日はちょっと腹の調子がおかしい。
原因は不明……まぁおそらくは食事内容における食物繊維の割合が高すぎることなのだろうけれど、夕方からずっとグルグルと動いている感じが消えないのだ。
幸い腹痛はないから、ただ不気味に鳴っているだけではある。

 

空腹により腹から音を出してしまったことは、成長期なら誰しも経験があるだろう。
細かい仕組みは調べたことがないから知らないけれど、胃が空っぽになって食べ物を欲しているということは感覚的に理解できるし、当時の私は今と違って健全に空腹感というものが定期的に発生していたので、昼食や夕食に適したタイミングを身体の状態から判断することができていた。
まぁ空腹の話は置いておいて、今回の話題は胃から生じる音ではない。位置的には、どうやら小腸か大腸のどちらかで、消化プロセスに混じった空気が悪さをしているように思われる。

腹痛は慣れっことはいえ、体力と時間を奪われるから厄介以外のなんでもないのだが、今日のような特に問題とはならない不調だと、どう反応していいのか難しい。
胃腸薬を飲んで安静にするのがベストなのだろうが、一応は健康な人間として生きている危機感のない私は、自宅に薬の類をまったく置いていない。
腹の不調に限らず、たとえば風邪を引いたり、どこかを切ってしまって出血したり、いわゆる救急キットのようなものが必要になるシーンは想定できないこともないのだが、その手のアイテムを備えておこうと意識したことすら、これまでになかったような気がする。
実際、今日のコレも気にしなければ何も不都合はないわけで、仮に腹を下してもトイレに篭もれば済むと思っているから、もう救いはない。

ひとつだけ怖いのは、それなりに身体の節々に不具合を感じるようになってきたとはいえ、私はまだ十分に若者と言える年齢ということだ。
多少の不調は若さに任せて無視できるくらいの潜在的体力は、運動不足を極めている私でさえ持っているのかもしれない。
しっかりと、見えない部分に確かな土台が存在しているというべきか。
これが、あと二十年や三十年が経過して、お世辞にも若いとは言えなくなった時……はたして私の肉体は崩壊せずに健康を維持できているのだろうかという疑問は、人生設計など考えていない私であっても多少は頭に浮かべてしまう。
こんな生活を続けていたら、あと十年すら怪しいという話はありそうだが。

 

生活かどう変わっていくかについて、ふと考えてみる。
基本的に一年後程度の未来までしか具体的なイメージを作らない私ではあるが、流石にこの壁が薄すぎる住居に長く住み続けるのは苦行でしかないから、それほど遠くないうちに出ていこうという案がないわけではない。
そうなった場合、次にどう生きていくか……まず一人暮らしの自由な環境に慣れた私としては、たとえ今より狭くとも、隣人の音が耳に入ってこない環境に移れれば満足すると思うのだが、それを手に入れるためには賃貸契約を新たに結ぶための信用を用意することが求められる。
現状、そこまで到達できるビジョンは明確には見えておらず、これは私の活動と運次第ではあるけれど、少なくとも一朝一夕の問題ではないため、中期的な時間を要するだろう。

あるいは一時的にせよ実家に戻るとすれば、日々の出費も相当に抑えられるし崩れた食生活も改善が見込める。
デメリットは、家族とはいえ慣れない共同生活に適応しなければならず、一人暮らしではフリーだった部分に対して生じる避けられないストレスを、どれだけ上手く処理できるかが課題となる。
そもそも家を出た理由が、そこからの解放という側面を含んでいたのだから、容易に受け入れられる話ではないだろう。

結局、どうなるにしても嫌なところが見えてしまうのが人生というものなのだろうか。
それなりに財産があるイージーモードなら視点は変わってくるに違いないけれど、あいにく個人としては金持ちとは程遠いから、今のところ「金があれば」という仮定は選択肢にない。
残念ながら。