K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

体感温度

先日に苦しめられていた頭痛はすっかりと治ったようなので、今日は午前中から起き上がることができた。やりたいことが多いがゆえに、予定を立てて計画的に取り組もうとするのはいいけれど、こういう体調不良は月に何度か定期的にやってくるから、イレギュラーではなくレギュラーとしての休養を予定に織り込んだほうがいいかもしれない。
それはさておき、だんだんと寒くなってきたので手先の自由が利かなくなってきて困るという話をする。

 

天井が高く、暖房が効きづらい部屋。旧居と似た環境ではあるけれど、こちらには床暖房がないため室温を効果的に上げる方法に乏しく、足元には常に冷気が漂っていて底冷えしやすい。
昼間は日光を取り入れることで多少は気温の上昇を期待できるけれど、夜は深々と冷え込む様相に身震いが止まらなくなる。一切の寒さを感じないまで設定温度を上げたら、どれほどの電気代がかかることか。
まだ十一月下旬だというのにこの状態では先が思いやられるため、昨日、扇風機を導入した。上部に溜まりがちな暖かい空気を、上手いことかき混ぜてくれることを期待する。夏になれば逆の意味で活躍してくれるだろうし、いずれ必要になるのはわかっていたのだから、初めから優先度を高めに考えて置いておくべきだった。

贅肉とは程遠い……対極にいると言っても過言ではない私の肉体は、一般人からすると想像できないほど寒さに対して脆弱だという自信がある。一方、暑さには少なからず耐性があると考えている。
まぁ暑いとか寒いとか、主観極まる話なので比較なんて不可能であることは承知しているけれど、これまで生きてきた中で周囲の人間の様子を観察した経験から、明らかに普通の人は私よりも寒さを感じていないことがわかるのだ。
なぜ、この凍えるような状況で平気なのか。その疑問に対する回答は、私が極端に寒がりというだけなのだ。
せめて、あと5パーセントでも体脂肪率が増えれば体感温度が変わるはずなのだが……現状はほとんど直に冷気が体温を奪ってくるため、基本的に冬は自然体でいると抗いようもなく体力が失われていく。暖房器具がない環境下においては、真っ先に死ぬタイプなのだ。

上で少し触れたが、夏はそれなりに生き生きとしている。もちろん、人間として耐えがたい酷暑にあたっては冷房の力を借りないと活発に動けないのだけれど、言ってしまえば身体の中に熱が留まりにくい構造をしているため、軽く涼むことができれば復活までそれほど時間を必要としない。
夏の屋内は冷房が効いているため、私の場合は冷えすぎてしまってよくお腹を壊す。外気の影響を受けやすすぎて、体温調節が苦手というのが私の身体的な欠点なのかもしれない。
そういった事情から、暑くてもあまり汗が出ない。服の中は籠っているため話が変わるけれど、顔などの表面的な部分については猛暑の下であっても変化しにくいため、周りからは全然暑そうにしていないように見えるらしい。
実際は、暑いと思わないなんてことはまったくないのだが、それでも太っている人が苦しんでいる「暑い」という感覚の理解には到底及んでいないことだろう。それと逆の現象が冬にも発生するため、私の「寒い」という訴えは、同じ体型の人間としか共有できない悩みだと考える。

 

暑いのと寒いのは、どちらが嫌いか。類似の質問で夏と冬どちらが好きか、なんていうのもあるけれど、私は春と秋が生きるのに好ましいと思っている。
いやはや答えになっていないかもしれないが、真理を追究するならこれしかないだろう。
まぁ質問の趣旨としては、結局のところ気温の上下どちらに強い耐性を持っているかということなので、それに従うなら私は圧倒的に夏派だ。何度も書いているように、冬の寒さは穏やかに生きていくのに厳しすぎる。
世間的にはどうなのだろうか。割れるとは思うけれど、冬のほうがいいと回答する人間のほうが多い印象がある。これといって強い理由はないが、「寒いのが苦手」よりも「暑いのが苦手」という声を、これまでによく聞いた覚えがあるからだ。

かつての知人に、寒いなら着込めばいい。暑さは脱いでも限界がある、というようなことを言っていた人がいた。確かに合理的ではある。
しかし私からすれば、暑ければ水分補給すればいい。寒気に奪われた熱は戻らない、という反論が浮かんできて、それがしっくりくる。
何より、布団の中で丸くならない限り、いくら服を着たところで手先や足先まで熱が行き届くことはないのだ。冬になると音ゲーなんてまともにできやしない。
過ごしやすさ、動きやすさという観点においても、適切に対応した場合、夏のほうが快適度は高いと思っている。

体感温度は人それぞれで、あるいは好みの問題でしかないから、どちらがいいという話ではないけれど、ともかくこれから私にとって生きにくい大変な季節が到来するということで、少しずつ気が重くなり始めている今日この頃だった。