K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

DB

データベース、ではなくドラゴンボールの話なのだが、実のところ私はよく知らない。
おそらく説明する必要はないほどに国民的な、世代を問わず好きな人が多いであろうコンテンツだとは思うのだけれど、不思議なことに私は人生で接点を持つことがなかったのだ。
直撃世代ではないからというのもあるが、別に漫画連載中に思春期でなかったからと言って、まったく触れる機会を作れないなんてことはないのに。たとえばアニメやゲームなんかで、いくらでも入口はあるのだから。

 

ややズレた世代ということもあって、思春期から現在に至るまでの間に、同世代との会話でDBが主要なテーマになることはなかった。
しかしながら、インターネットで様々な情報に触れていくうちに、これはそういう次元の話ではないのではないかと思うようになった。
つまり、DBというのは須らく履修すべきコンテンツであって、あらゆる創作物を楽しんだり作ったりする上で大前提の知識になっているのだから、わざわざ語るまでもないのかもしれない、ということだ。

悪口のつもりではないけれど、はっきり言うと厄介なコンテンツなのだ。知名度が高く、詳しい人が多い。にもかかわらず、新しく世界観やキャラクターを頭の中に取り込もうとすると、その膨大な情報量に圧倒されてしまう。
もし周囲の話題がDBに移った際には一切の反応を示せないけれど、知らないということを主張したところで非常識だと思われるだけだ。
知ろうと思えば、いくらでも自らチャンスを作ることはできたはずなのに、いまだに知らないまま放置しているということは、そもそも興味が湧かないのだ。
幼い頃、ひょっとしたら視界に入れることは何度もあったかもしれない。その度に、私は関心を抱かずスルーしてきた。

こうして考えると、DBに魅力を感じない理由は絵柄の問題が大きい気がしてきた。
何かこう、ビジュアル面に惹かれる要素があれば、初めは興味がなくとも自然に近づいていくだろうに。
たとえば……私は基本的にかわいいもの、かわいい絵が好きなので、特定のコンテンツに対して無知であったとしても、もし広告などで目にする機会があれば、多少は焦点を合わせてしまうものなのだ。そういう経験には心当たりがある。
DBの絵は、どうにも私に刺さらない。思えば、ドラゴンクエストを遊ぶ気にならなかったのも、鳥山明の絵が受け付けなかったからという理由が最も大きい気がする。

年齢を重ねて、絵というものへの知見が増えた今、あらためて彼の絵を見てみたら世間で「上手い」と言われている理由は理解できるようになったけれど、それとは異なる感性という基準で判断するキャラクターのデザイン性に関して、私はどうしても好きになれないのだと思う。
幼少期にもそうだったし、ある程度の価値観が固まってきた現在に至っても変わらない傾向ということもあって、今からDBを好きになろうとすることは私には難しいだろう。
これだけ国民的、というか世界的に愛されている漫画なのだから、ちゃんと楽しもうと思ったら、きっと満足度の高い時間を過ごすことができるだろうに。
そんなことはわかっているけれど、そこまでの一歩を踏み出すには乗り越えなければならない壁が高すぎるし、おそらく誰かに強制されない限りは今吾も近寄ることはないだろう。

 

一昔前、DBを教材に絵の練習をしたという人はたくさんいると思うが、今は時代が変わった。
優れた参考材料はネットで検索すればいくらでも見つかる環境を誰もが手に入れているし、数少ない「正解」に頼らなければならないという世の中ではなくなったのだ。

まぁ絵を描かなくても、名作漫画や名作アニメという括りでコンテンツを楽しむにあたって、今は選択肢が果てしなく増えている。
なんでも選べるからこそ、己の感性が求めているものに近いものを摂取したほうが幸せになれる確率が上がるだろうし、こうして恵まれた時代だからこそ、うっかり名作を見逃すこともある。