K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

脳死で見られるアニメ

それ見る意味ありますか、という話をしたい。
クソおもんない日常系アニメや量産型なろう系アニメを評価している人の常套句として、頭を使わず気軽に見られるから好き、というような意見がある。
まぁ「好き」は人それぞれなので、その尊い感情を否定する気は一切ないのだけれど、私はどうしてもそういうスタンスでアニメに向かうことができないため、理解に苦しむのだ。

 

もちろん、作品自体を否定するつもりもない。
どんな作品であれ作者の込めた想いはあるだろうし、ここで言いたい不満と作品が持つ魅力は別の話だ。

倍速視聴だとか、少し前に話題になったファスト映画だとか、どうにも娯楽が増えすぎた現代におけるコンテンツの摂取方法は、一昔前の標準的な感覚からは外れているような気がする。
私は作品と真摯に向き合って、その深淵の味を確かめたいタイプだ。できるだけ制作者の意図を汲みたいし、演出に価値を見出したい。
期待しているイメージをコンテンツが超えてきた時の快感は他の何物にも代えがたいくらいに爽快で、病みつきになる。

実は、とある事情から某アニメを途中まで見ることになったのだが、端的に感想を言えば、とても面白くなかった。どうやらアニメの配信サイトなどでは人気があるようなのだが、正直なところ理解ができない。
私の感性が時代遅れという可能性は微粒子レベルで存在しているかもしれないが、どう考えてもストーリーが退屈で退屈で仕方ないのだ。
ツッコミどころは山ほどあるし、こうしたらもっと面白くなるのに、というアイデアが頭の中を飛び回って気が狂いそうになる。
これを面白いと言っている人間は、往年の名作アニメを見たら頭が爆発するのではないか。
それくらいに、世間で人気があることに不可解な側面を強く感じた。

こういう、果てしなくつまらないアニメを見ていて思うのは、視聴を終えた自分が何も得ずに時間を無駄にしたことに対して後悔している姿だ。
面白くないのだから当然の話で、確かに頭を使わなくていいから他の面白いアニメを見る時ほどの疲れは感じないのだが、結局それで自分の中にポジティブな感情が生まれないのだとしたら、それはもう機会損失を作り出しているに過ぎないのだ。
その同じ時間で、もっと素晴らしい作品を見たほうがずっと有意義なのは火を見るより明らかで、せいぜい「そのアニメ見たよ」「知ってるよ」と、他人との会話のネタとして利用することくらいしかできない。

私はアニメを咀嚼したいのだ。深く噛み締めて、味わいたいのだ。味のしない栄養剤を飲んで食事をした気になるのは、私の心が許可しない。
薄っぺらい娯楽の池に足だけ浸かって、流行に乗った気になって、なんとなく生きていくなんて無理だ。もっと深く、太陽光の届かないくらいの底に潜って、奇跡的な出会いを果たしたい。その一瞬の輝きにこそ、万物を凌駕する衝撃が含まれているのだから。

 

私の価値観が絶対的なものではないのは大前提なのだが、長年のアニメオタクたる私が面白くないと断ずる作品が、それなりに大きなアニメ配信サイトで人気を博しているのは怪奇現象としか思えない。
本質的には理解できないながらも、なんとなく考察するに、きっと多くのユーザーは「アニメを見ること」が目的となっているのではないか。
アニメが見たい。でも頭を使わないと理解が難しい複雑な作品はコスパが悪い。人気があるし、楽に見られるのなら、適当にそれを流し見して楽しんだ気になれればいい。
そんな感じだろうか。

アニメに限らず、漫画や小説や映画といった、あらゆる創作物に対する接し方のスタイルが、非常に面白くない形で大衆化してきている気がするのだ。
作り手もその異常事態に気づき始めているから、昔のような緻密な作品よりも、お手軽に摂取できるコンテンツの量産に傾倒しがちなのかもしれない。
時代性と言われたらそれまでなのかもしれないし、もはや本質的な価値を見たい「オタク」は少数派で、今後はインスタントな消費こそ正義という感覚が世の中の標準となっていくのかもしれない。悲しいことに。