K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

人はドラマを見る

いつから、というわけではないけれど、世間で話題になっているドラマについて、私はついていけないことが多い。
そもそも今はテレビを見ないから当たり前の話ではあるのだが、実家にいた時は夕方から夜にかけて、夕飯時に機会があったのでチャンスはあったはずなのだ。
それでも、なぜか私はドラマを見るという習慣を作ったことがほとんどなかった。

 

昔は、その限りではなかったように思う。
視聴率の高いドラマ、人気すぎてワイドショーなどで取り上げられるようなタイトルは、自然と視界に入っていたはずだ。
ただ、それも自主的にというよりは、家庭環境により提供されていた感があり、実際に選択の自由を無意識的に行使するようになってからは、私はドラマに関心を向けることがなくなったのではないだろうか。
よく覚えていないのだ。それが中学生の頃だったか、高校生の頃だったか……時期なんてどうでもいいけれど、ドラマというのは見ている人が多いだけあって、昔話のネタになる。しかし、私は高確率で話を合わせることができない。

それにしても、やっていることはアニメ視聴と変わらないではないか。毎週、決まった時間に決まった尺で放送される。およそ三か月をひと区切りにして、別作品へと乗り換えていく。
基本的に生活習慣は大きく変化しないから、事前にドラマを楽しみにしていたというわけでなくとも、前に見ていたドラマと同時刻に放送される新作は、特に嫌う理由がなければ見ることになる。
これは、大半のアニメを配信で好きな時に見るようになった私にとって、前時代的な習慣の形ではあるのだが、娯楽の主要な部分をテレビが占めていた時分には当然の流れとして受け入れていた。

ドラマとアニメを比較してみて思うことは、やはりアニメのほうがビジュアル面から興味を抱きやすいということだ。
アニメは表現の幅が、言ってしまえば無限に近いし、どの画面を切り取ってもわかりやすい。
ドラマというのはリアルの人間を使って撮影している都合上、どうしても画面が地味になる。構図には制限があるし、小道具などを緻密に作り上げていないと、すぐ陳腐に見えてしまうという特徴を持つ……と私は思っている。
こういう見方は、万人に共通しているとは限らない。私の場合は、ドラマよりもアニメのほうが面白く見やすいという話だ。

そして物語を比べてみると、厳密に何が絶対的な正義とは言えないものの、アニメの水準の高さが目立つような気がする。
ドラマでやっていることを純粋にアニメに落とし込むと、きっと退屈なのではないだろうか。適した表現がまったく異なるという話はあるかもしれないが、アニメはより視聴者を退屈させない画面作りに力が注がれているように思えてならない。
これは過去の少ないドラマ視聴経験から考察している体感ではあるけれど、ドラマでやっていることを振り返ると、内容的には大したことがないというか……ドラマを見て自身の価値観が変わるレベルの衝撃を受けることなんて、まずありえないのではないかと思ってしまう。所詮は暇潰しにしかならないのだ。
アニメだって名作ばかりではないし、最近は時間とモチベーションの都合でほとんどスルーしがちだから、ドラマもアニメもどちらも見ていないという表現のほうが近いかもしれない。ただ、物語の質を考えた時に、高得点を叩き出す可能性が高いのは、どうやってもアニメだと思っている。
まぁこれは私の感性を語っているだけなので、ドラマのほうが楽しめるという人を否定するつもりは毛頭ない。

 

国民的にどちらのほうが馴染んでいるかということになると、それはもうドラマに軍配が上がるだろう。
視聴率を過信するのは好ましくないけれど、ゴールデンタイムから数字の取れないアニメが消えて、一方でドラマの枠はいまだに人気で堅持されているばかりか、定期的にSNSで話題になるのだから、バカにすることはできない。
アニメもトレンドには上がるけれど、深夜という放送時間を考慮すると、いったいどれだけの人間が見ているかわからない。もちろん、昔よりはアニメというものが受容される世の中になってきたとはいえ、まだまだ人々の習慣に普遍的に入り込むには規模が小さい。
せいぜい、一般人に対して話題にできるのは、金曜ロードショーでアニメ映画が流れている時くらいのものだろう。

今期のアニメ、とか言って一覧化している人が多いから、見ていなくてもアニメはなんとなく放送中の作品を把握できている。
ドラマはそうではないから、私のようにテレビを見ない人間は何が話題になっているのかすら知らないのだ。
このスタンスは今後も変えるつもりがないので、ドラマを楽しむということが非日常の私は、今後も定期的に無知の流行に悶々とする羽目になるだろう。
知っている前提で話を振られたことが、かつて何度かあるけれど、本当に困ったものだった。話題にできるから見る。動機として十分かもしれないが、作品を楽しむ心構えとしては、個人的には不純に思えてしまって望ましくない。